ヨハン・マッテゾン《ボリス・ゴドノフ》その3
なぜ1710年の上演は中止になったか。これまでは作者が作品の質に満足できなかったから、とか上演の状況が整わなかったからなどと言われていたが、政治状況を考える必要もあろう。作品中にロシアの皇帝が二人出てくるわけだが、それに対してロシア大使が介入したのか、という疑問も浮かぶが、否定されている。作品の質も問題ないし、上演時の経済状況にも問題がないし、ロシア皇帝がでてきても当時のロマノフ朝ではないので問題とはならなかった。
このオペラはロシアの前の皇帝が亡くなり、その後いろいろあるが、ボリス・ゴドノフが皇帝になる、という話である。そこに登場人物として外国の王子というのが2人いる(この辺の情報も、前項と同じくインスブルックでのプログラム解説から)。GavustとJosennah だが、これはGustavとJohannes のアナグラムだ。Gustav はスウェーデンの王子であり、Johannes はデンマークの王子だ。これらの王子は、当時ではなく100年ほど前に実在した人物がモデルだという。スウェーデン侯グスタフ(1568−1607)は実際モスクワに妃候補をさがしにいき、ボリスも彼を婿にしたがったというし、もう1人はデンマークのプリンス、ヘルツォーク・ヨハン(ネス)(1580−1602)(この人物の詳細不明)。スウェーデンの王子はプロテスタントの信仰を捨てるのを拒んだので結婚が成立しなかったという(ウィキペディアではこの王子がポーランド滞在中にカトリックに改宗したという記述もあるのでチェックが必要だろう)。デンマークのプリンスはモスクワで死んでしまった。こういった歴史上の人物を暗示的に搭乗人物にいれているわけだ。1709年には新たなロシア大使が赴任し、イギリス大使のところにも挨拶に来て、その場にマッテゾンはいたはずで、当然北方戦争やホルシュタイン・シュレスヴィヒ・ゴットルプの領有・継承をめぐる問題が論じられたであろう。イングランドはこの時点では、これらに関与すつもりだった、その前提でマッテゾンは作品を書いた。
ところが1710年の秋にイングランドで総選挙があった。トーリーは1701年から続いていたスペイン継承戦争からの撤退を主張して選挙に勝った。この選挙の勝利により、イングランドが北方戦争に関与する可能性は現実的でなくなった。それによって、このオペラの上演の意義が失われたわけである。
こうしたオペラと政治動向の相互連関を考察する研究方法は、日本でヘンデル研究において三ヶ尻正氏が早くから主張しているものと共通すると思う。
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