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2021年8月24日 (火)

ランチコンサート

今日もランチコンサートがあった。演奏団体はアンサンブル・カメオといい、先日のものとは違う。曲目も違う。これまた無料である。

というわけで、インスブルック音楽祭の間に、時間の融通さえつけば、無料で聴けるコンサートは随分あるし、その曲目も幅広い。

庭園の東屋という場所は同じで、20分ほど前にいくと20人ほど並んでいた。

アンサンブルのメンバーは実は先日のMokka Barock とチェンバロとチェロが重なっているのでどういうことか調べてみると、チェリストは実際両方の団体に所属(かけもち)しているのだった。今日弾いたチェンバリストは本来アンサンブルカメオのメンバーで先日のMokka Barockでは代理で出演したのだと思う。Mokka Barockのサイトではチェンバリストは日本人と思われる方が掲載されているのでコロナ禍の影響があったのかもしれない。ザルツブルクを根拠地として活動しているとのこと。

今日のメンバーは4人。ブロックフレーテ(縦笛)のBalint Kovacs, ヴァイオリンのJuan Manuel Araque-Rueda, チェロのCecilia Clo',  チェンバロのAgata Meissner.

ヴァイオリンのJuan  Manuel Araque -Rueda は抜群にうまかった。上手さの要素を考えてみると彼の演奏スタイルが完全にバロック様式を活かしきっていることに思いいたった。最近では珍しいことではないが、椅子に座らず演奏している。これはフレーズの途中でもぱっと強弱を変えたり、音の表情を変えたりする時にやはり膝の屈伸もふくめ全身を使って急激な変化を弓使いに与えているのだとわかった。19世紀以降の音楽では、楽器の音(ヴァイオリンにせよ、ピアノにせよ)均質な音を求めていく傾向が大きい。ヴァイオリンで言えばアップボウかダウンボウかわからない方が良いし、ピアノもどの指ででも同じように弾けるように練習し、均質な音で音階を駆け上がったり駆け下りたりする練習をするわけだ。バロック楽器は、弦楽器にせよ、管楽器にせよ、均質な音は出ない。ダウンボウとアップボウが違うだけでなく、弓使いの途中で音が変化してしまうし、管楽器も息づかいがまったくはっきり伝わる。均質でない音の細かいニュアンスをむしろ楽しむ、味わうことが前提で音楽が出来ているといってよいだろう。だから、今日のように4人の合奏で、それぞれの奏者のニュアンスの幅が大きく、そのニュアンスが常に変化していくので、たとえば最初の演目 テレマン(1681−1767)の四重奏 TWV 43/e4 では、近距離で聴いているせいもあって(東屋は椅子にすわっているのは60名程度で20人弱の立ち見がいたかと)細かいニュアンス、強弱の素早い変化、音色やアタック音の柔らかさ、激しさが、非常によく伝わり、和声的な豊かさだけでなく、音楽的色彩の豊かさに圧倒されるのだった。

次はジャック・デュフリ(1715−1789)のチェンバロ曲2曲で、La Forqueray と Medee'. 前者は物憂げな感じで、後者は決然とした感じがあったが、彼の生きた時代は微妙な時期で、フランス革命勃発の翌日に亡くなっている。しかし音楽はむしろバロック的な表情を感じた。

次がマラン・マレ(1656−1728)の組曲第二番ト短調。おしまいがマルコ・ウッチェッリーニ(1603−1680)の Aria sopra La Bergamasca という曲だったが、ブロックフレーテが軽快に駆け回る楽しい曲だった。

先日も同じことを書いたが、今日もこの本格的なコンサートが無料で市民に開放されていることに感銘を受けた。

 

 

 

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