ヨハン・マッテゾン《ボリス・ゴドノフ》その5
《ボリス・ゴドノフ》のあらすじ。
第一幕 (注意すべきは皇帝が登場するが、それはボリスではなく、ボリスの前の皇帝であること。つまり、皇帝という場合、ボリスではなくテオドルス・イヴァノヴィッチを指している)
クレムリン宮殿の一室。皇帝テオドルス・イヴァノヴィッチの妻イリーナは帝国の団結を説き、ボリス・ゴドノフ(イリーナの兄)がモスクワ総督に任命される。大貴族のフェドロは、イリーナに愛を告白し、イリーナはそれを拒絶もしないが注意して振る舞うようにとさとす。ボリスが現れ、自分の望みを語る。外国のプリンス、ガヴストとともに、皇帝がイリーナを離別しようとする計画を邪魔しようというのだ。さらに最近やってきた外国のプリンス、ヨゼナーが何を企んでいるのかを探ろうと考えている。突然、皇帝の重病が伝えられる。人々は退室し、ガヴストだけが残る。ボリスの召使いボグダはこの間ずっと眠っていたが、突然目覚める。皇帝の病気という騒ぎで目が覚めたという。ガヴストは、ボリスの娘アクシニアに恋をしている。
プリンセス・オルガとヨゼナーが入場。オルガ(今回の演出では皇帝の看護師として車椅子を押している)とガヴストは愛の性質について歌う。一方ヨゼナーは恋愛問題からどんな利益が引き出せるかを強調する。ボリスの娘アクシニアが入ってきて、ヨゼナーは皇帝の突然の病への懸念を語る。二人は語り合い、ヨゼナーは仕事があるといって退場する。ガヴストは、ボリスの命を受けて、ヨゼナーのモスクワでの行動の真意を探るがうまくいかない。
ガヴストは、ボリスとフェドロに合う。二人は皇帝の健康問題について相談している。知らせをうけ、みな瀕死の皇帝のもとへ集まる。皇帝の死後、フェドロは、イリーナへの愛がやっと叶うかもと期待する。
第二幕
皇帝テオドロスの死後、イリーナ、ボリス、フェドロとガヴストは集まり、危機的状態を4声のカノンで歌う。ボリスは、混乱を避けるために、テオドロスが死ぬまえに王冠と王笏(皇帝のシンボル)を手に入れておいたと告げる。彼は宮廷生活に疲れたので、修道院にはいって平安を得たいと述べる。フェドロが驚くことに、イリーナ(皇帝の未亡人でボリスの妹)も兄と行動を共にしたいという。ボリスとイリーナは去り、みな退室する。
一人になって、ヨゼナーはアクシニア(ボリスの娘)と結婚し、義父の助けを得て皇帝になるという野心を吐露する。それどころか、彼はすでにオルガとその趣旨で協約を交わしていたのだ。ガヴストは、ヨゼナーとオルガの話を立ち聞きし、アクシニアにそれを伝え、復讐を誓う。
(筆者のコメント)
ここまで書いてくると明らかだが、皇位継承をめぐる政治的駆け引き、陰謀、それへの対抗といったものが恋愛と絡めてある話だ。前の項目で書いたようにたとえばガヴスト(Gavust)はグスタフ(Gustav)のアナグラムになっていて、これはスウェーデンだな、ということが判る仕組みになっている。前皇帝からボリス・ゴドノフへの皇位継承であると同時に、1710年当時の大北方戦争への言及、プロパガンダを含んだものである、ということが十分うかがわれるプロット、ストーリーと言えよう
(コメント終わり)
ボリスと妹イリーナは、修道院に暮らしているが、そこへ貧しい子供たちや老人がやってきて、ボリスに皇帝になってほしいと嘆願にくる。フェドロも口を開き、イリーナに、国中の人々があなたに再び会いたいと考えていると告げる。そこへガヴストからのメッセージが届き、正式にボリスに皇帝即位の願いが届く。ボリスは国のために自分を犠牲にすることを受け入れる。一同喜ぶ。
第三幕
舞台は再びモスクワ。オルガとヨゼナーは自分たちの敗北を悟る。ガヴストとフェドロは二人を捕らえ、ヨゼナーの政治的策謀を白状させる。罰としてヨゼナーは追放される。オルガとアクシニアは驚くが、やがてほっとする。ガヴストは、アクシニアとの間の障害がなくなったことを喜ぶ。フェドロは相変わらずイリーナの愛を求める。ボリスは《王冠と愛》をめぐる騒ぎに憮然としている。新しい皇帝(ボリス)が戴冠し、ヨゼナーはボリスによって赦され、オルガとも和解する。ガヴストは、愛するアクシニアと結ばれ、イリーナは恋人たちの命令に従うーフェドロは常に彼女を待っている。
(あらすじ、終わり)
(以下筆者コメント)
上記のあらすじは、プログラムに記されたものを大雑把にまた、人物関係などは説明を補いつつ訳したものだが、実際の舞台だとこの通りの筋書きをたどるのはむずかしい。第三幕では、ある人物が射殺され、アクシニアさえピストルを向けられ、殺されたかと思うと、空に向けての発砲だったことが判る、と言ったリブレットにはない仕掛けがところどころにあるからだ。
演出家 Jean Renshaw の解説を読むと、台本を読んで途方に暮れ、しばらく苦しみ抜いたという記述がある。それを料理するのは至難の業だったというわけだ。
実際、この台本には登場人物が多く、恋愛と政治的策謀が絡んでいるわけだが、1710年当時のハンブルクの観客は、自分たちの眼前に繰り広げられる列強の争いが、自分たちの命運を左右する切実な問題であったからこそ、間接的な形でも、あれとあれがくっついて、これと戦う可能性があるな、とか想像を巡らせることが出来たのだろう。言い換えれば、リブレットを書いたマッテゾンはそういう観衆を想定することが出来たのだろう。リブレットの元原稿には、マッテゾン自身がリブレットも作曲も自分が書いたと銘記してあるそうだ。マッテゾンの他の作品ではリブレットを誰が書いていたのかを確認しなければ確かなことは言えないが、この作品に関しては、1710年の政治状況が絡んでいるのだとすれば、イギリス大使の秘書をつとめ、ロシア大使が赴任挨拶にイギリス大使のところにやってきた際にも同席したマッテゾンは、この国際情勢にどんなリブレッティスタよりも自分は通じている、という自負があったとしても不思議はないだろう。それだけに、1710年のイングランドの総選挙で、すべての前提が崩れ、オペラ上演が水疱に帰したわけで、それがその後、上演されることがなかったのも理解はできる。
バロック・オペラを読み解く、味わうには、いかに多角的な視座が必要かを実感する貴重な経験であった。楽譜だけ、台本(リブレット)だけ、演出だけ、では全然足りないし、3つ併せても足りないことを思い知った。一つ一つの要素を取り上げて、精密に分析・考察し、他作品と比較したりすることも一つのプロセスであることは言うまでもないのだが。
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