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2021年8月16日 (月)

オルリンスキーのリサイタル

カウターテナー歌手オルリンスキーのリサイタルを聴いた(インスブルック、Haus der Musik).
オルリンスキーはデビュー当時は、ルックスや歌って踊れるとかヴィジュアル系でいくのかとも思われたが、CDアルバムは1枚目は宗教曲、2枚目は世俗曲だが世界初録音が8曲もあるという真摯なもの。コンサートの演目もこの最新アルバムと重なる(一部異なる)。またオケはポモドーロだが、指揮者というかリーダーがZefira Valova. いつもながらポモドーロのアンサンブル能力・音楽性には脱帽。リズムや音色がつねに生き生きとし、通奏低音とヴァイオリンも常に音楽的に連帯している。音の消え際までコントロールする精妙さを持ちながら、馬鹿丁寧なあまりリズムが鈍くなるところが微塵もない。
オルリンスキーは(英語)で司会をしながら進めていく。オーストリアでのリサイタルは初めてで、しかもコロナ渦で最近は短いリサイタルしかやったことがなく、本格的なものは久しぶりとのことで歌える嬉しさが身体からにじみでていた。彼の透明感があり、強弱の幅の大きい声は、叙情的な曲に向いている(ヘンデルの超絶技巧を求める劇的な曲よりも)と思った。この日の演目は,
カヴァッリ(1602−1676)Sinfonia e recitativo ed aria 《Erume e solinghe ...Lucidissima face》(Endimione) (《La Calisto》ヴェネツィア、1661,より)
ジョヴァンニ・アントニオ・ボレッティ(1640−1672)Aria 《Chi scherza con Amor》(Eliogabalo) (《Eliogabalo》ヴェネツィア、1672、より)
Sinfonia e Aria 《Crudo Amor non hai pieta'》(Claudio) (《Claudio Cesare》、ヴェネツィア、1672,より)
ジョヴァンニ・ボノンチーニ(1670−1747)Aria 《Infelice mia costanza》(Aminta) (《La Costanza non gradita nel doppio amore d'Aminta》, ローマ、1694,より)
Sinfonia (《La Nemica d'Amore fatta amante》ローマ、1693,より)
フランチェスコ・バルトロメオ・コンティ(1681/2−1732)、Aria《Odio, vendetta, amore》(Fernando)(《Don Chisciotte in Sierra Morena》, ヴィーン、1719,より)
ヘンデル(1685−1759)Aria《Pena tiranna》(Dardano)(《Amadigi di Gaula》HWV11, ロンドン、1715、より)
ここで休憩
ヘンデル recitativo ed aria 《Otton, qual protentoso fulmine... Voi che udite》(Ottone) (《Aggrippina》HWV6, ヴェネツィア、1709より)
Aria 《Spera che tra le care gioie》(Muzio)(《Il Muzio Scevola》HWV 13, ロンドン、1721より)
ルーカ・アントニオ・プレディエーリ(1688−1767)、Aria 《Finche salvo e' l'amor suo》(Scipione) (《Scipione il giovane》ヴェネツィア、1731,より)
ニコラ・マッテイス・デアユンガー(1670−1737)、Ballo dei Bagatellieri (《Don Chischotte in Sierra Morena》, Wien, 1719)
これは器楽曲です。
ルーカ・アントニオ・プレディエーリ(1688−1767)Aria 《Dovrian quest'occhi piangere》(Scipione) (《Scipione il Giovane》、ヴェネツィア、1731)
ジュゼッペ・マリア・オルランディー二(1676−1760)/ヨハン・マッテソン(1681ー1764)Aria《Che m'ami ti prega》(Nerone)(《Nerone》、ハンブルク、1723,より)
初めて聞く曲が多かった。アルバムと同じく《愛のさまざまな顔》と題されたリサイタルで、歌詞は、ひたむきの愛を歌うもの、変わらぬ愛を皮肉るもの、恋人の裏切りを恨むもの、様々だ。音楽的にも、軽快にはねるような音楽、しみじみ歌い上げる曲、驚くほど多様な音楽と出会うことができた。ヘンデルがすぐれた大作曲家であることは疑いないが、孤立した存在ではなく、同時代や前後には優れた作曲家が大勢いたことを実感できた。
ツェンチッチやジャルスキーもそうだが、すぐれたカウンターテナー歌手は、われわれが今まで聞いたことのなかった曲を発掘し、しかも21世紀のわれわれの音楽的感性に訴えかけるものとして提示し、われわれの音楽観を更新し続けている。音楽学者の活動と両輪の輪であるが、その豊かな実りを感じることのできた時間であった。カウンターテナーに関して、われわれはとても贅沢な時代に生きているのだと思う。

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