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2021年8月22日 (日)

ランチコンサート

《コーヒーの道》と題するバロックのコンサートを聴いた(王宮庭園、東屋)。プログラムの解説によると、コーヒーはエチオピアから世界に広まったもので、その道をたどってプログラムを構成しているとのこと。

場所は、王宮庭園(無料で誰でも入れる)の中にパヴィリオン、東屋があって、そこでランチコンサートがあった。午後1時から一時間ほど。このコンサートも無料である。インスブルック古楽祭には、こうした市民が気軽に参加できるコンサートがいくつもある。ぼくもこれで3つ目である。やや遅めに行くと、60席ほどの座席は埋まっていて、まわりは立ち見でそこに加わって聞いた。

プログラムの最初は

Taburi Mustafa Cavus (1700-1770)のFasil で中東風の響きがする。

次は一気にヨーロッパなのだが、プログラムの解説によると、1624年からヴェネツィアによってコーヒーの大量輸入が始まったのだという。

Antonio Vivaldi (1678−1741)のConcerto ト短調、RV103  この曲は比較的有名で実演でも何度か聴いているのだが、一瞬わからなかった。編成が違うからである。当日の演奏者は5人でバロックチェロの Cecilia Clo,  リュート、テオルボ、バロックギターの Elias Conrad Pfetscher, チェンバロのAgata Meissner,  縦笛のFlorian Brandstetter , Tabea Seibert 。縦笛はブロックフレーテと言ってもリコーダーと言ってもよいのだろうが、弦楽器と違って大きさによる名称の違いがない。二人の縦笛奏者は、五本ずつ笛を用意し、曲によって、場合によっては曲の途中で違う笛に持ち替えていた。おおまかに言えば長くて太い笛が低い音がするのであり、短くて細い笛は高い音がする。しかしほとんど同じ長さの笛もあったりして、音色で使いわけているのだろうか。

これはオペラのオーケストラのリコーダー奏者も複数の笛を持ってきていたし、テオルボ奏者も複数のテオルボを持参して持ち替えているのを観た。むろん、バロックのオケでいつもそうであるわけではなく、カールスルーエで観たときにはテオルボ奏者は楽器は一つだけを持ってきていた。

というわけでこのグループはチェンバロ、チェロ、テオルボとリコーダー2人という珍しい構成なのだ。つまりヴァイオリンがいないのである。ヴィヴァルディのこのコンチェルトは主題とヴァイオリンの音色がこの音色でなければ、という具合に即しており、リコーダー二丁の響きは不意をつかれた思いがした。それも曲のあらたな面の発見を促してくれるのかもしれない。

次は Nicolas Bernier (1664-1734) の Le caffe' から Prelude. フランスの作曲家らしいが、僕ははじめてで聞いたことのない曲だった。

つぎは Marin Marais (1656-1728) のヴィオラ曲集第三巻 La saillie du cafe'

Jean-Baptiste Lully (1632-1687) Le bourgeois gentilhomme の Marche pour la Ceremonie des Turcs トルコ人が出てきた。

Johann Caspar Kerll (1627-1693)トリオ・ソナタト短調. ケルルはイタリアでカリッシミに師事したオルガニスト、作曲家である。

Georg Philipp Telemann (1681-1767) Klingende Geographie II Europaishce Turkei:Les Turcs,  Asiatische Turkei:Mezzetin en turc 

Johan Sebastian Bach (1685-1750) トリオソナタト長調 BWV1039 バッハにはコーヒーカンタータがあるが、楽器編成の点でトリオソナタが選ばれたものと思われる。バッハの曲は他の曲と少し様子が違う。より精密で通奏低音の動きが緻密であるがゆえに気楽な聴き方がおのずと出来なくなる。アダージョ・エ・ピアノの部分では短調になって同じ音型が繰り返され内省的になったあとで、プレストで明るく早いパッセージが出てくると喜びが内から湧き上がる感じがして、バッハ独特の良さがある。その一方で次の Tarquino Merula (1595-1665) のCiaccona を聞くと、まったく軽快な曲で、こういう気楽さもいいな、と思うのであった。

よく考えられたプログラムであり、いかにも素人向けという選曲ではまったくないことはお解りいただけるだろう。聴衆も熱心に聞いている。係員も2人いてスマホでの録音、撮影を制止していた。

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