ヨハン・マッテゾン《ボリス・ゴドノフ》その4
ヨハン・マッテゾンのオペラ《ボリス・ゴドノフ》の音楽的特徴について。
オーケストレーションや登場人物同士が集まっての合唱あるいはカノンがあったり、レチタティーヴォ、アリア、二重唱(結構数が多い)は、18世紀前半の他のオペラと較べて、オーソドックスで二重唱は美しい曲が多い印象を受けた。
マッテゾンと友人・ライバルでもあったヘンデルのオペラと比較するといくつか目立つことがある。
1つは、テンポのゆったりした曲が多く、駆け抜けるような曲はなかった。オケは早いパッセージも時たまあったのだが、アリア自体にはない。また、超絶技巧を要求される曲はなかった。アリアの終わり近くでカデンツァとなり歌手が少しの間自由に歌える部分はしばしばあったのでそういう部分にゆだねていたのかもしれない。
もう1つは、上記のことと関係してくるが、声種の問題だ。前の項目で書いたように、このオペラは登場人物が9人と多い。この多さは、表面的・字義的にはボリス・ゴドノフとその時代のプリンスらを扱いながら、寓意的には作曲当時、1710年の大北方戦争の参加国を表象するという狙いからくるだろう。大北方戦争に参加したプレーヤー(国家・君主)は数多いのである。
なのであるが、前の皇帝、次の皇帝であるボリス・ゴドノフ、ロシアの大貴族フェードロと、3人もバスがいる。ムソルグスキーの時代ならともかく、バロック・オペラの約束事としては、身分の高い人は高い声、場合によってはカストラートのようにソプラノで歌われるか、テノールで歌われることが普通と言ってよいだろう。これはなぜなのか。マッテゾンがロシアの特殊性と思われるものを強調するために、いつもと違う声種を選んだのか。これを判断するためには、マッテゾンのほかのオペラでの声種の配置がどうなっているのかを知りたいものだ。
ハンブルグのこのオペラ劇場は1678年にドイツで初めて公衆劇場(宮廷のではなくて、という意味)として設立された。当時支配的だったイタリア様式に対抗してドイツ風バロックの牙城となったということがウィキペディアなどに記されているが、イタリア様式が何を意味して、それに対抗してどこをどう変えたのかが問題である。おそらくはドイツ語オペラというだけで十分チャレンジングだった時代だろう。実際、このオペラでもアリアになると突然イタリア語になってしまうという曲がいくつもあった。歌手もドイツ語でもイタリア語でも歌うのだからご苦労さまであるが、少なくともイタリア語の発音に関して、歌詞の聴き取りやすさに関しては、タイトルロールのOlivier Gourdy とイリーナ(前の皇帝の未亡人でボリスの妹)のFlore van Meerssche に一日の長があった。オルガ役の Flore van Meerssche などはあと一歩磨きをかければ、というところがイタリア語発音に関しても、歌唱にかんしてもあって、若手中心のオペラ上演なので、ここからの成長を期待したいところだ。
話を声種に戻すと、要するに、カストラート歌手の存在を前提としていない構成である。そしてそれに照応するように超絶技巧を要求する曲がなく、比較的ゆったりしたテンポのアリアが多い。ヘンデルが特殊とも言えるが(イギリスの聴衆はイタリア語を解さないのでレチタティーヴォを切り詰めている)、このオペラでは結構、ドイツ語レチタティーボが長い。かつ、一カ所では、おそらくは演出家により加えられた台詞(そこだけ字幕が出ない)を生の台詞として(レチタティーボ的にではなく)言わせていた。カウンターテナーの技巧的な曲、その超絶技巧の中から浮かびあがる激しい感情の表出に慣れてしまうと、テンポの早い曲、超絶技巧の曲がないのは、正直なところ、少し物足りない感じもある。
しかし逆に言えば、この曲の上演には、傑出した歌手が複数名必要というような条件はつかず、上演しやすい曲とも言えよう。この時代のことであるから、マッテゾンはどの役をどの歌手が歌うかをほぼ想定した上で当て書きしているであろう。マッテゾン自身が歌手として自分のオペラもヘンデルのオペラにもでているのだから、個々の歌手の音域やどういう技巧が得意か不得意かもわかっていたろう。その上で、ソロの超絶技巧は断念し、むしろテンポがゆったりとしながらも美しい二重唱を魅力的に響かせる選択をしたのかもしれない。以上のことは当時のハンブルクの劇場の歌手の状況、マッテゾンの他のオペラの書き方などを参照しなければ断言はできないわけで、まったくとりあえずの感想として受け止めていただければ幸いです。
しかし、とは言え、マッテゾンの1つのオペラを全曲通して観る・聴く機会などめったにないので、貴重な経験であり、まったくありがたいことと思う。
(追記)
当公演の指揮者マエストロ・マルキオルに質問することが出来た。マッテゾンの楽譜に、オーケストレーション、即ち楽器の割り振りはあったのか、と尋ねると即座になかった、という返事。誰がやったのですか?というと僕です、と誇らしげな返事をいただいた。バロック時代の楽譜ではオーケストレーションまで書かれてないことは、ありがちで(たとえば、通奏低音とのみ書かれていても、それがチェロなのかテオルボなのかチェンバロなのかわからないーというかその時、手配できるものでやれば良いという考えかと思う)むしろ例外的に綿密な楽器指定が書き込まれていると言ってもよいのかと思う。綿密な楽器指定から、ほぼ無しという間のグレーゾーンが何段階もあるのだと考えればよいだろうか。
| 固定リンク
コメント