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2021年8月27日 (金)

テレマン《音楽牧歌劇》その3

テレマンの《音楽牧歌劇》が現代に伝わったのは幸運の積み重ねだった。

プログラム(Babette Hesse)によると、テレマンの最初の劇音楽である当作品は、残存した唯一のスコアは、いろいろの事情でキエフのある所にしまわれていた。冷戦終了後、2002年にベルリンに戻ってきた。というわけでこの作品は、ウクライナのKirill Karabits とドイツの音楽学者 Peter Huth によって二度再発見された。現代では2004年にベルリンのコミーシュ・オーパーで蘇演された。2005年にCDも出ているとのこと(うかつにも筆者は知らなかった)。批評校訂版が2014年に出版された。作曲当時、テレマンはフランス音楽に通じた人と評価されていた。Pastorelle という形式自体は、モリエールとリュリの作品 Divertissement Royal をモデルにしたのかもしれないと考えられている。これはルイ14世が自ら踊った最後の作品だという。テレマンは創意工夫をそこに加えているが、詞の一部分は直接取っているのだという。

また Chirstin Wollmann が明らかにしたところでは、ダモンの他のアリアは、1713年にパリで出版された曲集がソースであり、テレマンは聴衆を最新流行のパリの曲を用いて喜ばせたのだろう。

ここからは筆者の感想だが、この曲の序曲はオペラの規模からすると華やかかつ壮大だ。曲想もスピリトーゾ、アダージョ、アレグロ、アダージョ、プレスト、アダージョ、ヴィヴァーチェと何度も変化する。テンポの速いところでは、トランペット、ホルンが派手にパンパカ吹き鳴らされる。祝祭にふさわしい序曲(Concerto) である。

テレマンの最初の妻はお産で亡くなってしまったのだが、テレマンはフランクフルトで1714年に再婚している(テレマン33歳、妻16歳)。1721年までには6人の子をなした(が、彼女は賭博癖などいろいろの問題を抱えてりやがて離縁する)。

ここからまた筆者の感想となるが、この曲のなかで、イリスとカリストは、自由こそ大事、恋愛なんて、というところから、愛の素晴らしさに目覚めるというか屈するというか、そこへと大きく態度が変化するわけで、その変化の過程には迷いや戸惑いがある。最初はイリスが愛するべきかしら、と言って悩むのであるが、この場面のテレマンの筆は冴えていて、実に聞き応えがある。また、次にカリストがためらう場面も同様に、入念に描かれている。フランス風な序曲で付点を多様したリズムと金管楽器の派手な仕様で花火を打ち上げるかと思えば、揺れ動く女性の微妙な心の動きを描き出すことも巧みなわけで、他のオペラもぜひ観てみたい、聴いてみたいと思った。ダモンの場合には、前述のように、苦悩はチェロの動きに任せて、旋律的にはそれほど深く感情移入をさそうものにはなっていない(あるいは、意図的にそうしていない)。

女性の心理を描く際、見事であるのだが、やり過ぎることはなく、心理的精神的にバランス感覚のすぐれた作曲家なのかとも思う。古典派で言えば、モーツァルトやベートーベンよりもハイドンに近い気質、テンペラメントなのかもしれないと思った。

 

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