ヨハン・マッテゾン《ボリス・ゴドノフ》その1
ヨハン・マッテゾンのオペラ《ボリス・ゴドノフ》を観た(インスブルック、Haus der Musik).
Haus der Musikには2つホールがあって、先日《イダルマ》を観たのは上の大きいホール。この大きいホールにはオーケストラ・ピットはなくて、最前列の客と同じ高さにオケの団員は座っている。
それに対し、この日のホールは地下にあってやや小ぶりなのだが、オーケストラ・ピットは存在している。こちらはヤング・バロック・オペラということで若手中心。指揮者はイタリアのアンドレア・マルキオルというチェンバロ奏者として有名な人らしい。日本でもマスターコース?で教えたというようなことが書いてあった。歌手は、昨年のチェスティ賞(この音楽祭の声楽コンクール)入賞者が中心に配役されている。若手に賞と賞金を渡すだけではなく、こういうプロダクションに参加させるのは、実によく考えられた企画だと思う。
ペーザロのロッシーニ・オペラ・ファスティヴァルの場合は、アカデミーがあってそこの生徒、若手歌手が《ランスへの旅》を上演する決まりになっていて、観客の中にはエージェント関係の人もいて、有望な若手の発掘・発見を期待しているわけで、観客も同様だ。あそこに通っている間は、毎年1度か2度《ランスへの旅》を観ていて、演出も同じだったので、見方、聴き方はおのずとある方向にバイアスのかかったものになるのであった。
インスブルックの場合、ヤング・バロック・オペラは以前はヘンデルのものをやっているのを観たことがある。演目が固定しているということはない。上演演目が変わるのであるから、指揮も演出も変わる。その部分はロッシーニ・オペラ・ファスティヴァルとは異なるが、若手の機会という点は共通しているわけだ。
《ボリス・ゴドノフ》といえばムソルグスキー作曲のものがあまりにも有名で、You tube で検索しても延々とムソルグスキー作曲のものの演奏が出てくる。しかし根気よくあるいは作曲者名をいれるとこのマッテゾンのものも出てくるのだ。当然ながらこちらが先に作曲されたものだ。Peter Petreus によって1615/1620に書かれ作曲された作品をもとに、マッテゾンが作詞作曲を1710年にハンブルクでした。
ところが何の理由か、マッテゾンはこの作品を急に取り下げて上演しなかった。そのまま忘れ去られ、第二次大戦後も消失したものと考えれていた。ところが20世紀の終わりに、楽譜の所在がアルメニアで突き止められた。その結果、約300年遅れで2005年にハンブルクで初演がなされたqのである(このあたり、カヴァッリ作曲のオペラ《エリオガバロ》と似た面がある。)
演出はイギリスの若手、ジーン・レンショー。ロシアの話ということで、酒瓶のボトルが何度も大量に出てきて、ロシア人でも酔ってへべれけになる様を演じさせていた。また毛皮のコートを着ていて、キャスターのついたハンガー(10着ほどの毛皮のコートがかかっている)が舞台上にあるのも、ロシアといえば毛皮のコートということなのだろうか。
こちらは《イダルマ》以上に登場人物が多く、あらすじもややこしい。その2以降(その5になりました)で書きます。
音楽は驚くほど、古典的にバロックな感じで、拍子ぬけするくらい聞きやすい音楽。登場人物による合唱があり、レチタティーボ、アリアがありという具合で、変わっているのは歌詞。ドイツもので他にもそういう例は知っているが、ほとんどの部分がドイツ語で書かれているのだが、退場アリアとか幕切れのアリアになると突如イタリア語の歌詞になるのである。当時の観客はどう受け止めたのかはわからないが、今聞くと不思議な感じである。
当日は、歌詞がドイツ語の時もイタリア語のときも、一貫して、ドイツ語の字幕が舞台上方に示されていた。ドイツ語能力がごく低い当方としては、まわりが笑っていても何が可笑しいのかわからないのが残念であった。
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