Cafe' Zimmermann のコンサート
Cafe' Zimmermann のコンサートに行った(インスブルック、アンブラス城、スペイン広間)。
個々の演奏も上質であったが、プログラムの構成とそのプレゼンテーションが大変知的で魅力的だったので、やや詳しく紹介したい。
Cafe' Zimmermann というのは、もともとバッハの頃にライプツィッヒにあったコーヒーハウスの名前で、ドイツ語圏ではパブリックなコンサートはコーヒーハウスから始まったとのことだ。
この日の構成は4人でヴァイオリンが Pablo Valetti、フラウト・トラヴェルソがKarel Valter, ヴィオラ・ダ・ガンバがEtienne Mangot , チェンバロがCeline Frisch. (Celine はアクセント記号あり)。
ホームページにはテレマン、J.S.バッハ、C.P.バッハとのみ書かれていたが、3ユーロ出してプログラムを買ってみた。
前半がテレマン、J.S.バッハ、テレマン、休憩をはさんで、J.S.バッハ、C.P.バッハ、テレマンとなっている。バッハ親子と比較しつつテレマンの特長を浮かび上がらせる狙いかと思った。が、よく見ると、最初のテレマンのヴィオラ・ダ・ガンバのソロのためのファンタジアがG-Dur(ト長調)、J.S.バッハの一曲目トリオソナタがG-dur, J.S.バッハの2曲目はヴァイオリン独奏のパルティータこれがE-dur、テレマンの四重奏がE-moll だった(長調、単調は変わるがEである)。後半も同様で、J.S.バッハの平均律からB-Dur つづくC.P.バッハのトリオ・ソナタがB-Dur, しめくくりのテレマンの2曲は2曲ともA-Dur である。二曲ずつ調性を合わせていると気づいたが、実際の演奏ではその二曲が続けて演奏されるのだった。あたかも、休止符がはさまれているだけで、一つの曲あるいは一つの曲の2つの楽章であるかのように。
さらにこの2曲ずつの組み合わせは、調性をあわせているだけではなかった。一曲目がソロで二曲目は合奏なのである。最初はヴィオラ・ダ。ガンバの独奏、そして合奏、これでひとまとまり。次はヴァイオリンの独奏、そして合奏、これでひとまとまり。
こうして、同じ調(一組だけ長短に分かれるが)で独奏と合奏が対比される。独奏楽器が順繰りに変わっていくので、単独でのその楽器の響きも味わえる。あらためて、ヴァイオリンというのは、容積は小さいのに大きな音が鳴るし、よく通ることを実感した。アンブラス城のスペイン広間は奥行きの長い長方形なのだが、日本で通常みられるように短い方の一辺が舞台になっているのではなかった。長辺の途中に舞台を設営し、客は舞台を三方から取り囲む形。ぼくの席は、演奏者を横から眺める位置だった。この方向からだとヴィオラ・ダ・ガンバの弓使いは見えない。ネックに近い部分を指が動くのは見える。
独奏の時にその楽器の特性がわかるが、合奏になったときに4人でも別世界の豊かさ、音色の格段の多さを感じるのだった。独奏曲の魅力を否定するつもりはまったくないが、4つの楽器になると絡み方が2つの楽器、3つの楽器、4つの楽器と増減も可能だし、チェンバロやヴィオラ・ダ・ガンバがさらっと和音的な音型を弾いているときと、積極的にメロディーを弾く場合、あるいはまた激しい動きのあるフレーズを奏でる場合で表情の変化の幅も格段に大きい。それが実感できる。
さらに収穫だったのは、この合奏団の名前とも関係するが、J.S.バッハの独奏曲は精密に出来ていて聞き手の集中力を求めるところがあるが、テレマンやC.P.バッハは、もっとリラックスして聞ける社交的な音楽なのだということが自然に判るプログラムだった。コーヒーハウスで聞く音楽ということなのだろう。大バッハの場合、通奏低音の動きも精密に書き込まれていて、その動きを感じ取ると、瞬間瞬間の変化に耳をそばだててしまう。テレマンやC.P.バッハの場合、通奏低音はもうちょっとのんびりと同じ音型を繰り返したり、音楽的に積極的な意味をもたせずに流しているように聞こえる時間がある。そういった時、聞き手もリラックスしてのんびりと聞けるわけだ。それでいて、C.P.バッハは変化するときには不思議な大胆な転調をみせ、こちらをはっとさせることもある。
今回のコンサートでもそうだったし、このところC.P.バッハの魅力に気づき始めているのだが、おそらくこれは演奏や研究の趨勢とも関係があると思う。つまり、20年、30年前は、ロマン派につかりきった目、耳で、バロックやその前後の音楽を見ていた。そういう耳、目からすると、求心的なJ.C.バッハの魅力がわかりやすい。社交的な音楽は生ぬるく聞こえたろう。
ここ20年、30年の古楽の演奏や研究の進展にともなって、こちらも17世紀、18世紀の音楽、演奏に親しむようになった。そちらの側から下ってきたときのC.P.バッハは、ロマン派から遡ったときのC.P.バッハとは違って聞こえるのだ。
こういう社交的な音楽も面白いよ、ということをいろんな仕掛けのあるプログラムで気づかせてくれる洒落たコンサートだった。アンブロス城のこの大広間もこの城の一族の立像が壁画になっているのだが、こんな部屋でバロック音楽を聴くのはまことにふさわしいと言えるだろう。
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