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2021年8月15日 (日)

チロル民俗博物館

日曜日でかつ8月15日ということで音楽会はなく、博物館に行った。

チロル民俗博物館は初めてではないのだが、現在の展示が興味深かった。ティロル地方の近現代史を扱っていて。イタリアとの関係をひもといていた。

チロルは、第一次大戦前はチロル伯爵領であった。

第一次大戦中、イタリアは最初は中立を保っていたが、やがてオーストリアと戦う。一時はイタリア内部まで攻め込まれたが、山岳地帯での塹壕戦などをへて、イタリアが勝利する。イタリアは戦勝国になったはずなのだが、失ったもの、払った犠牲に対し得たものは少なく国民の間、帰還兵の間に不満が充満した、といったところが教科書的な記述である。

今回、新たに知ったのは、1918年の11月4日に南部戦線が休戦となった後に、1918年11月23日に、イタリア軍がインスブルックに進駐していたことだ。その後、1919年9月10日にサンジェルマン・アン・レ条約が調印される。オーストリアと連合国の条約で、ハンガリーやチェコスロバキアの独立が認められ、オーストリアハンガリー帝国が解体したわけだが、チロルの一部(南部)がイタリアに割譲された。割譲された部分を南北にわけると南部がトレント県で、北部がアルトアディジェ県(南ティロル)である。

1920年12月4日になってティロルから最後のイタリア兵が撤退した、という。

インスブルックに第一次大戦後終結直後にイタリア軍が進駐していたことはまったく知らなかったし、第一次大戦の記述としてあまり見ないと思う。インスブルックの博物館ならではの情報かもしれない。

現在のイタリアにおいても、オーストリアから割譲されたトレンティーノ・アルト・アディジェは特殊な自治州で、北のボルツァーノ県(南チロル)では、イタリア語とともにドイツ語も公用語となっているし、学校教育もドイツ語がメインかイタリア語メインの学校かを選ぶことが出来るようになっている。

 

 

 

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