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2021年5月30日 (日)

映画『略奪者たち』

映画『略奪者たち』(イタリア映画祭2021,ピエトロ・カステリット監督)をオンラインで観た。ピエトロ・カステリットは、俳優セルジョ・科ステリットの息子。彼の監督第一作とのこと。

ブルジョワ一家と庶民的でファシストの一家との思いがけない出会いがあるのだが、事態はある事件から意外な展開を示す。

ブルジョワのパーティで見られる世代間対立は大きい。イタリア映画では庶民や犯罪者の迫力もさることながら、ブルジョワやインテリを演じる人の層も厚いことを感じる。無論、ブルジョワやインテリもまったく理想化されることはなく、時に思いっきり戯画化されて描かれている。

まったく社会階層や職業が異なる二家族だが、家族で集まり、おばあさんの誕生日をお祝いしたり、お見舞いしたりという点は共通している点もある。そこが興味深いのだった。

 

 

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2021年5月29日 (土)

映画『私は隠れてしまいたかった』

イタリア映画祭2021『私は隠れてしまいたかった』(ジョルジョ・ディリッティ監督)をオンラインで観た。

アントニオ・リガブエという画家の一生を描いたもので、リガブエの画風は、晩年のゴッホの原色をつかった激しいタッチが似ていなくもない。その生涯も、ゴッホ的、山下清的な要素があって、社会的になかなか適合しがたいのだが、傑出した才能を持っていてやがてその才能が花開く、というのがあらまし。

映画の展開の仕方としては、最初にファシズム期(壁にムッソリーニの写真がかかっている)の医院で医者がリガブエを問診する形で、過去が回想されるのだが、それが次々に時間が飛んでいき、さらには、その問診よりも先に時間が進んでしまうので、枠構造とも言えない。観客が頭の中で時間を再構成する必要がある。

場所と言語の関係が興味深い映画で、最初はスイスで生まれ、いろいろ厳しい事情があって養子に出されるが、その後、イタリアに送還される。言語的には最初、なまりのきついドイツ語らしきものが出てきて(スイスのドイツ語なのだろうか?)、次にはなまりのきついイタリア語が出てくる。イタリア語の場合は、登場人物によって、かなり標準語に近い人となまりのきつい人がいる。イタリア語圏に限った話ではないが、標準語と方言の関係にはその中間もあるし、また同じところに住んでいてどれくらい標準語を話すかは、階層や教育歴との相関もある。

リガブエが思春期の時に、女の子に興味を持つと、母親が病気をうつされて死ぬかもしれないと言う。それを信じ続けるのだが、絵が売れるようになって車の運転手が雇えるようになると、彼から女性ほど良いものはないと言われ、目覚める。知り合いの宿屋?のふくよかな女性に憧れの気持ちをもつのだが、そこの女店主はリガブエが画家ということでまったくけんもほろろ、でリガブエの思慕の成就を妨害する。絵画の才能およびその稼ぐ力への評価の軸が、階層や個人によりまったく異なる点が、苦い味わいをもって描かれるが、それがまたリガブエの想像力、妄想力をかきたてているようでもあった。

言語のコントラストも興味深いが、都市部と農村部、双方の住人のコントラストも描き込まれている。イタリアの田舎の美しさを知らぬわけではなかったが、あらためて唖然とするばかりの光景がいくつもあった。

 

 

 

 

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映画『我らの父よ』

イタリア映画祭2021の映画『我らの父よ』(クラウディオ・ノーチェ監督)をオンラインで観た。

ピエルフランチェスコ・ファヴィーノが主演の父役。バルバラ・ロンキがその妻を演じる。

物語は警察官の父(ファヴィーノ)を持つ少年の立場から描かれる。1976年のローマで鉛の季節。父は自宅前で左翼過激派の襲撃を受ける。応戦して過激派にも死者がでるのだが、それを少年は目撃してしまう。トラウマとなり、家族に護衛もつく。少年は屋根裏部屋?に架空の友人を持って、一人で対話したりしている。そこに謎の少年が現れ親しくなるので、この少年が架空の存在なのか実在なのかしばらくわからぬまま映画は進む。

主人公の少年がストレスをかかえ学校で不適応を起こし、一家は父の実家のカラブリアに避難する。海のそばで自然に囲まれた家。叔父や祖父母との生活。父はカラブリアとローマを行き来する。そこへ例の少年が現れ、最初は物置き小屋に隠れているがやがて家族とも話しをするので実在の人物とわかる。少年二人の友情と感情のもつれ、および謎の少年のアイデンティティーがキーになってくる映画だ。鉛の時代をこういう視覚から描くことが出来るようになったことにも感慨を覚えた。

ネット上で不正確な情報を見たので、言わずもがなの註。この映画の舞台となった鉛の時代は、左右の対立が激しく、右翼も左翼も武装闘争を展開しており、警察もその標的となったりした。警察官の父は、wikipedia によれば commisario ということで警察分署長である。イタリアの人気テレビ番組の『刑事モンタルバーノ』のモンたるバーノが commisario だったと思う。

最初と最後にヴィヴァルディの四季が、ピアノで、そしてサックスをまじえた吹奏で流れるのは、時の流れと認識の変化を体現していて見事だと思う。

 

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2021年5月24日 (月)

映画『憎むなかれ』

映画『憎むなかれ』(イタリア映画祭2021,マウロ・マンチーニ監督)をオンラインで観た。

オンラインで観るという場合、コンピュータで観るわけだが、iMac のようなデスクトップでもそこそこ低音は出るのだが、イアホン用のジャックからアンプにつないで普通のスピーカーに接続すると、格段に低音がよく出るようになる。アクティブ・スピーカーを接続した場合も同様である。映画や音楽を鑑賞する場合、出来れば小さくともよいのでスピーカーへの接続がおすすめです。

さてこの映画だが、舞台はトリエステで、あるユダヤ人医師と、ネオナチ一家がおもいがけぬところで出くわし、関わりを持つようになっていくなかで葛藤や事件が起こる。

ユダヤ人医師をアレッサンドロ・ガスマンが好演している。イタリアのネオナチの活動も描かれ、良くも悪くも印象的である。

ネオナチグループの家族の一員の女性とユダヤ人医師の交流が、様々な色合いのグラデーションで描かれる。時にかすかに甘く、ときに苦々しく。人種差別問題に安易な解決などないわけだが、この映画はわれわれにかすかな希望をあたえてくれるだろうか。

 

 

 

 

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映画『ソーレー太陽ー』

映画『ソーレー太陽ー』(イタリア映画祭2021,カルロ・シロー二監督)をオンラインで観た。養子縁組をめぐる話である。ポーランド人女性があるイタリア人の若者と偽装夫婦になり出産をするのだが、出産前から取引が成立していて、赤ん坊は若者の叔父夫婦に引き取られる。子供の親と、養子縁組先が親戚だと養子縁組が成立しやすいという事情を利用した取引である。裏に、犯罪組織などが動いているのかもしれないが、映画ではそこは描かれず、むしろ、ポーランド人女性と見張り役兼赤ん坊の父親(ということになっている)の青年の微妙な心理の移り変わりが丹念に描かれるのだが、驚くほど台詞は少ない。カメラワークや俳優の表情のニュアンスを読み取ることでストーリーは進んでいく。

主題だけを要約してしまうととげとげしい後味の悪い映画を予想してしまうかもしれないが、むしろ家族とはをじわっと考えさせられる映画だ。

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2021年5月17日 (月)

映画『こどもたち』

映画『こどもたち』(イタリア映画祭2021、ジュゼッペ・ボニート監督)をオンラインで観た。

コルテレージとマスタンドレアが40代の夫婦役を演じている。二人目の子供が生まれてからの苦難を描いている。一人目の娘も友人たちも皆、二人目に対して懐疑的なのだ。映画の中では新生児の泣き声が、なぜかベートーヴェンの悲愴のピアノ音(冒頭の和音)に置き換わっているのが笑える。

1人目の経験はあるにしても、小さい子供を抱えた状態で、2人目の赤ん坊を育てるのは並大抵のことでないのはよくわかる。夫の父や妻の母との議論、葛藤も誇張されているにせよ、結構こういう世代間対立は実際あるのだろうな、と思わせる内容を多分に含んでいる。夫婦の言い争いも、言われてみればそうだった、おっしゃる通り、なのだが、細部の描き方がユーモラスなので救われる。

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映画『もしも叶うなら』

映画『もしも叶うなら』(ジネヴラ・エルカン監督)。エルカンという名前から判るように、現フィアットのトップ(フィアットが近年何回か吸収・合併を繰り返したので正式にはどういう名称であるかわからないが)のジョン・エルカンの姉妹。つまりジャンニ・アニェッリの孫である。イギリス、フランス、ブラジルで育ったという。ベルナルド・ベルトルッチのアシスタントを経験したりしている。

映画のストーリーは、父も母も異性関係に奔放な人で、現在母はパリにおり、父はローマ在住という設定。母はさらに別の男性との子を妊娠し、カナダ移住を計画中。三人の子をローマの父にあずける。というわけで3人の子供はフランス語をしゃべったり、イタリア語をしゃべったりする(どちらにも日本語字幕はつきます)。末っ子のアルマは両親が再び仲良くなることを夢想していて、時々彼女の夢想が画面に出てくる。父(スカマルチョ)は映画のさえない台本作者であり、つきあっている彼女(ロルヴァケル)のほうがどうやら文才はある。子供たちは親のふるまいに刺激されてか性にめざめかけてもいる。三人はローマの郊外で地元の少年たちと親しくなっていくのだが。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2021年5月14日 (金)

映画『悪の寓話』

イタリア映画祭2021、オンラインで『悪の寓話』(ディンノチェンツォ兄弟)を観た。

なかなかアクの強い映画で、ポリティカリー・コレクトではない台詞が山のように出てくる。女性蔑視的な台詞も沢山あり、毒のあるリアリズムの映画。ベルリン国際映画祭で最優秀脚本賞を受賞しているとのこと。

98分のなかに複数の家族を盛り込んでいるので、盛り込み具合が濃くて、一度観ただけではなかなか登場人物の関係の整理がつきにくかった。後半になると意外な展開を示すのだが。。。

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映画『フィオーリ、フィオーリ、フィオーリ』

イタリア映画祭の短編映画『フィオーリ、フィオーリ、フィオーリ』(ルカ・グァダニーノ監督)を観た。12分ほどの短編だが、これも無料である。

コロナ禍のイタリアにおけるロードムービーと言えよう。監督の故郷シチリアが舞台。ロケ地はメッシーナ、アチレアーレ、カニカッティなどで、

iPhone とiPad で撮影されているのがいかにもこの時期(コロナ禍のイタリア、2020年5月4日から10日)らしい。監督が故郷の友人の何人かを訪ね歩いていくのだが、移動の途中でシチリアの大地の花々が静かに登場する。

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映画『あなたの不幸はわたしの幸せ』

イタリア映画祭2021の短編映画『あなたの不幸はわたしの幸せ』(シドニー・シビリア監督)を観た。12分ほどの短編だが、こちらは無料デ観られます。オススメです。

『いつだってやめられる』シリーズの監督だけあって、ユーモアに富み、しかもイタリアの若者の就職活動の厳しさを見事に浮き彫りにしている。ある男とある女の就活をめぐる決闘と言えば決闘のようなお話。

 

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映画『靴ひも』

オンラインで映画『靴ひも』(イタリア映画祭2021)を観た。

ダニエーレ・ルケッティ監督。アルバ・ロルヴァケルとルイージ・ロ・カーショが夫婦を演じている。この二人の30年後を演じるのがシルヴィオ・オルランドとラウラ・モランテなので、豪華な配役である。

ストーリーは1980年代のナポリに始まる。夫はローマでラジオの仕事をしているのだが、浮気をし、それを妻に告げるところから、騒動が始まる。二人の子供の成長・屈折過程の描写も、いくつかの短い場面だけなのだが巧みに織り込まれている。

音楽が最初バッハで始まり、あるところでドメニコ・スカルラッティに変わる。そのポイントは劇の展開上も重要。

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『泣いたり笑ったり』(イタリア映画祭2021)

オンラインで映画『泣いたり笑ったり』(イタリア映画祭2021)を観た。周知のように、この映画祭は、一昨年までは有楽町朝日ホールで上映する形をとっていたが、去年は新型コロナのため2日間だけアニェッリ・ホール(イタリア文化会館)で、あとはオンラインで開催された。今年は当初は、渋谷のユーロライブでの上映とオンラインの両方で実施する予定であったが、コロナ禍のため結局はオンラインだけで実施となった(大阪会場は6月上映の予定なのでどうなるかはわからないが)。

監督はシモーネ・ゴダノ。公式サイトによればLGBTQを題材にしたコメディーとあるが、アレッサンドロ・ガスマン演じる庶民のおじさんとファブリツィオ・ヴェンティヴォッリョ演じる画商のおじさんのラブコメディーである。原題は Croce e delizia  なのだが、これはオペラ好きならすぐにピンとくるように、『椿姫』のなかでアルフレードが主人公ヴィオレッタと歌う二重唱の一節にある言葉だ。直訳すれば「十字架と歓喜」という意味だが、苦悩と喜びということで、泣いたり笑ったりとしたのだろう。『椿姫』の中では、この言葉を発するのはアルフレードの方で、恋の苦しみと喜びという意味で歌っているが、これはやがてヴィオレッタが背負うことになる十字架(アルフレードの父から別れを迫られ、抵抗するが、アルフレードの妹の結婚に差し支えるーなぜならヴィオレッタは高級娼婦だからーと言われ、泣く泣く別れを承諾するのだ)を予兆していることになる。

この映画は、もちろん『椿姫』を知らずに観ても面白いのだが、知っているとパロディになっているところが各所にうかがえる。それをいちいち指摘するとネタバレ・オンパレードになってしまうので、この辺でやめておこう。

逆説的な純愛物語です。楽しめました。

 

 

 

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