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2021年1月 4日 (月)

ヴィンチのオペラ《ポーランド王ジスモンド》その1

新しい年となりました。今年もよろしくお願い申し上げます。昨年度は、いろいろな不自由を味わった1年でしたが、今年はそれが少しでも解消される方向に進むことを願っております。

さて、バイロイト・バロック・オペラ・フェスティヴァルの続きである。

フェスティヴァルの一番の目玉は、ポルポラのオペラ《Carlo il calvo》であることは明白で、フェスティヴァルの関連サイトでテーマ音楽のようにかかるのはポルポラの音楽であった。このフェスティヴァルではもう1つオペラ全曲をコンサート形式で上演した。

それがレオナルド・ヴィンチ(言うまでもなく画家ダ・ヴィンチではなく、画家より230年ほどあとに南イタリアで生まれた作曲家です)のオペラ《ポーランド王ジスモンド》である。こちらは、ツェンチッチおよびパルナッサス・プロダクションによりCD録音とヨーロッパ各地でのコンサート上演がなされており、満を持してバイロイト・バロック・オペラ・フェスティヴァルに持ってこられた演目と言えよう。

一時は、facebook あるいは別のサイトで観ることが出来たのだが、現在は視聴が出来ない。フェスティヴァルとは別のところでコンサートをした時のものが Youtube にあがっている(それはほぼ全曲といってよいのだが、終わりの10分程度が切れているー版権の関係なのだろうか、単純なミスなのだろうか)。

もちろんCDはParnassus から出ていて、ヨーロッパのレコード賞にノミネートされたりしている。Leonardo Vinci 作曲 Gismondo re di Polonia  3cd 9120104870017  である。

キャストは、フェスティヴァルのものと、CD録音の時のものと、Youtube にあるヨーロッパのどこかでのコンサート形式の録画のものとは非常によく似ている。というか主要登場人物は同じである。ツェンチッチがタイトルロールのジスモンド。ユーリ・ミネンコがオットーネ。ゾフィー・ユンケルがクネゴンダ。アレクサンドラ・クバスークルクがプリミスラオ。ジェイク・アルディッティがエルネスト。ここまではCD録音と同じ。異なるのはHasnaa Bennaniがジュディッタ(フェスティヴァル)かDilyara Idriska がジュディッタ(CD)。CDにのみニコラス・タマーニョのエルマーノがいる。ここから判るように、コロナで演奏時間短縮することが求められたのか、出場予定の歌手に何らかの移動制限がかかって出場できなくなったのかは不明だが、フェスティヴァルにはエルマーノの役がなく、少しばかり短縮版となっている。

オーケストラは古楽器・ピリオド楽器を用いた {oh!}Orkiestra Hostoryczna という難しい名前の10数人のグループでこれを率いるコンサートマスター(コンサートミストレス)兼音楽監督がMartyna Pastuszka で非常に生き生きとした演奏をしているし、個々のメンバーのノリのよい様子がYoutube からも見て取れるだろう。やっつけ仕事ではなく、ヴィンチの音楽が一人一人のメンバーに入っていて、個々人が積極的に関与している感じが素晴らしい。こういう気配は、大人数のオーケストラよりも、少人数のグループの方が聞き手としては看取しやすいし、彼らの歌手との掛け合いや楽器同士のメロディーの受け渡しなどが見て、聞いて楽しい。

フェスティヴァルのプログラムとCDのライナーノーツの筆者は同一(ボリス・ケアマン)であり、同一内容である。かいつまんだ内容を以下に記す。

《ポーランド王ジスモンド》は1727年ローマで書かれたのだが、リブレットは約20年前にヴェネツィアでフランチェスコ・ブリアーニが作曲家アントニオ・ロッティのために書いたものの焼き直しである。ブリアーニとロッティによるオペラは1709年にデンマークのフリードリヒ4世が当時ヴェネツィアを代表する歌劇場であるサン・ジョヴァンニ・グリゾストモ劇場への来訪を記念して上演されたものだ。この劇場では翌1710年にヘンデルのオペラ《アグリッピーナ》が上演されているし、4人は同一メンバーだった。

1708/09年のフリードリヒ4世の来訪は社会的なセンセーションを巻き起こした。彼は70人以上の臣下を連れており、劇場や歌劇場に行き、ムラーノではガラス製品を注文し、大運河でレガッタを観覧した。その様子は絵画にも描かれ、ブリアーニはリブレットの献辞で、37歳の君主を平和と軍事行動の双方を愛する理想的君主とたたえている。そのリブレットのタイトルは《寛容な勝者(Il vincitor generoso)》でその含意するところはフリードリヒ4世であったし、それはデンマーク宮廷へのブリアーニの就職活動でもあった。

ヴィンチはこのリブレットを、アリアは別として、その他の部分はそのまま用いており、そのことはこのオペラを考える際のベースとなるだろう。

以下、その2へ。

 

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