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2021年1月 5日 (火)

《ポーランド王ジスモンド》その4

《Gismondo re di Polonia (ポーランド王ジスモンド)》の演奏は、You tube のものも、バイロイト・バロック・オペラ・フェスティヴァルでの演奏も、CDでの演奏も、コンサートマスターとオケ、主要登場人物を歌う歌手が共通しているので、基本的には音楽的な色づけは同じである。

コンサート形式の上演では、CDと比較すると、(以前の項目でも記述した通り)登場人物が減っている(当然その人物のアリアはカット)場合がある。

ということを断った上で、バイロイトでの演奏は(も)、指揮、オケ、歌手の方向性があっており(それは必ずしも、縦の線がピシッとそろっていることを意味しない)、互いにどういう音楽をやろうとしているかを理解しつつ、オケの一人一人も自発性を備えつつ歌手をサポートしている。リズムも叙情的なところと、勢いよく攻めるところのコントラストなど申し分ない。バロックのすぐれたオケを聞くと、10数人でもこれほどダイナミズムもあるし、音色の変化もあるし、アタック音の差異も聞き取れるし、実に充実した音楽経験ができるものだと思う。

歌手もクネゴンダのユンカー、オットーネのミネンコのアリア、二重唱など叙情的で豊かな感情表現(といって形式美が崩れるほどの溺れることはない)があり、チェンチッチのジスモンドの叙情表現と足並みが揃っている。戦いの場面などもあり、政治の駆け引きもあるオペラなので、叙情的な場面と怒りや娘への服従を求める場面の歌い方の違いも実に的確に表情分けがなされており、ヴィンチも作曲家としてそういった描き分けに腕をふるっている。

このヴィンチの《ジスモンド》とポルポラの《カルロ》を聞き比べてみるのも一興かと思うし、おそらくツェンチッチはそういう考えを持ってプログラムを構成しているのだろう。一言で言えば、18世紀前半のオペラ史でナポリ派がいかに重要かということなのだが、それはどんな音楽史にも書かれていながら、近年になるまで、実演で体験的に実感することが困難なテーゼであった。そういう意味で2020年は多くのオペラ・ファンにとってささやかで大きな一歩をオペラ経験史に刻む一年であったのではないだろうか。経験は、実演に勝るものはないであろうが、繰り返し観たり聞いたりできると言う点で、一定のオーディオ条件が整えば、You tube  やCDによる経験もそれに劣らず身体的に刻み込まれる経験となるものだ。実演では、同じ上演を観るのも3、4回がいいところだろうが、CDやDVD、Youtube などでは、聞き流しも含め10回でも20回でも30回でも聞くことが出来るのだから。

 

 

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