« 2020年12月 | トップページ | 2021年2月 »

2021年1月 5日 (火)

《ポーランド王ジスモンド》その4

《Gismondo re di Polonia (ポーランド王ジスモンド)》の演奏は、You tube のものも、バイロイト・バロック・オペラ・フェスティヴァルでの演奏も、CDでの演奏も、コンサートマスターとオケ、主要登場人物を歌う歌手が共通しているので、基本的には音楽的な色づけは同じである。

コンサート形式の上演では、CDと比較すると、(以前の項目でも記述した通り)登場人物が減っている(当然その人物のアリアはカット)場合がある。

ということを断った上で、バイロイトでの演奏は(も)、指揮、オケ、歌手の方向性があっており(それは必ずしも、縦の線がピシッとそろっていることを意味しない)、互いにどういう音楽をやろうとしているかを理解しつつ、オケの一人一人も自発性を備えつつ歌手をサポートしている。リズムも叙情的なところと、勢いよく攻めるところのコントラストなど申し分ない。バロックのすぐれたオケを聞くと、10数人でもこれほどダイナミズムもあるし、音色の変化もあるし、アタック音の差異も聞き取れるし、実に充実した音楽経験ができるものだと思う。

歌手もクネゴンダのユンカー、オットーネのミネンコのアリア、二重唱など叙情的で豊かな感情表現(といって形式美が崩れるほどの溺れることはない)があり、チェンチッチのジスモンドの叙情表現と足並みが揃っている。戦いの場面などもあり、政治の駆け引きもあるオペラなので、叙情的な場面と怒りや娘への服従を求める場面の歌い方の違いも実に的確に表情分けがなされており、ヴィンチも作曲家としてそういった描き分けに腕をふるっている。

このヴィンチの《ジスモンド》とポルポラの《カルロ》を聞き比べてみるのも一興かと思うし、おそらくツェンチッチはそういう考えを持ってプログラムを構成しているのだろう。一言で言えば、18世紀前半のオペラ史でナポリ派がいかに重要かということなのだが、それはどんな音楽史にも書かれていながら、近年になるまで、実演で体験的に実感することが困難なテーゼであった。そういう意味で2020年は多くのオペラ・ファンにとってささやかで大きな一歩をオペラ経験史に刻む一年であったのではないだろうか。経験は、実演に勝るものはないであろうが、繰り返し観たり聞いたりできると言う点で、一定のオーディオ条件が整えば、You tube  やCDによる経験もそれに劣らず身体的に刻み込まれる経験となるものだ。実演では、同じ上演を観るのも3、4回がいいところだろうが、CDやDVD、Youtube などでは、聞き流しも含め10回でも20回でも30回でも聞くことが出来るのだから。

 

 

| | コメント (0)

ヴィンチのオペラ《ポーランド王ジスモンド》その3

ヴィンチはなぜ18年前にヴェネツィアで上演されたオペラのリブレットを再利用することにしたのだろうか?

ヴィンチが上演するのは、ローマの Teatro delle Dame という劇場である。わざわざヴェネツィアで18年前に上演されたオペラのリブレットを再利用した理由として考えられるのは、ボリス・ケアマンによれば 1.ヴィンチが変わったことをして観衆を驚かせるのが好きだったこと 2.1年前にナポリで上演した《エルネリンダ》でノルウェーを取り上げたこと。つまり、神々や古代地中海世界だけでなく、ヨーロッパのアルプスの向こうを取り上げて新たな主題を開拓したこと。3.しかし何と言っても大きいのは、この作品のリブレットに大書されている献辞から明らかなように、この作品は James 3世(イタリア語ではGiacomo III) に献呈されていることと関連している。James 3世というのは、イギリスの名誉革命で追放された James 2世の子供で、イギリス王James 3世であることを主張し、その主張は、フランスやスペインやローマ教皇などヨーロッパの主要国から認められていた。当時のイギリスにはハノーヴァ王朝のジョージ1世がドイツから迎えられ、ついでジョージ2世がその後を継いだわけである。

さらには、James 3世の妻は、ポーランド王の孫娘だった。というわけで、このオペラを見る人々には、前項で記述したあらすじの登場人物が現実の人物と重ね合わせて見える仕組みになっている。すなわち、王ジスモンドがJames 3世で、反抗的なプリミスラオがハノーヴァ(ハノーファ)家である。

18世紀前半のオペラでは、初演時に誰にリブレットが献呈されたか、どういう政治情勢の中で産出されたかも、重要な要素の1つであると筆者は考えている。

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2021年1月 4日 (月)

ヴィンチのオペラ《ポーランド王ジスモンド》その2

バイロイト・バロック・オペラ・フェスティヴァルでコンサート形式で上演されたオペラ《ポーランド王ジスモンド》の続きである。

では作品のあらすじから。

登場人物はポーランド王ジスモンド(シジスモンド・アウグスト2世)、リトアニア公プリミスラオ。二人の王子がジスモンドと同盟を結んでいるが、リヴォニアの王子エルネストとモラヴィアの王子エルマーノである。どちらもジスモンドの娘ジュディッタに恋しているが、ジュディッタはプリミスラオに恋している。中心となるラブストーリーは、プリミスラオの娘クネゴンダとジスモンドの息子オットーネの恋。

第一幕 (以下の場は、解説上で区切りをつけているもので、リブレットの場とは一致しません)

第一場:ポーランド王ジスモンドは部下とともにワルシャワに入場し同盟を結んだ諸公からの忠誠の誓いを受けることを求める。ジスモンドは、息子とプリミスラオの娘クネゴンダが結婚しリトアニアとの同盟関係が強化されることに満足している。しかし、ジスモンドの娘ジュディッタは、モラヴィアとリトアニアのライヴァル関係を刺激する。

第二場:娘クネゴンダの忠告に反し、プリミスラオは、ルブリン合同の時の忠誠の誓いを撤回する。彼は、それにより自分の地位を失うことをおそれジスモンドへの忠誠の誓いを拒む。オットーネとクネゴンダは、王の使者であるエルネストにプリミスラオを説得するように頼むが成功しない。二人が永遠の愛を誓ったあと、自分たちでもそれを試みる。クネゴンダは、オットーネが退場したあと、娘としての義務と恋人への愛の間で悩む。

第三場:クネゴンダとオットーネはプリミスラオの説得に成功する。プリミスラオは忠誠の誓いをしてもよいと言う。ジュディッタは、兄のオットーネに、自分はワルシャワの仮面舞踏会でプリミスラオに恋をしたと告白する。二人とも、和平がなれば自分の愛の望みがかなうだろうと希望を抱いている。

第二幕

第一場:プリミスラオはジスモンドの前で、忠誠の誓いを立てようとしている。そのとき、王の天幕が崩壊し、ひざまずくプリミスラオの姿が周囲の軍勢の目にさらされる。プリミスラオはジスモンドが奸計を図ったと非難する。怒ったクネゴンダもオットーネに別れを告げる。再び戦争が勃発する。

第二場:ジュディッタは父への恐怖とプリミスラオへの愛に引き裂かれている。彼女は、彼女を恋する二人の公エルネストとエルマーノににせの希望を抱かせ、戦争においては彼女の父ジスモンドを助け、その一方でクネゴンダとプリミスラオを殺さぬように懇願する。ジスモンドは、息子オットーネにクネゴンダのことは忘れ、戦場で名誉をかけて戦うよう命じる。オットーネはクネゴンダと戦うことは全く望んでいない。

第三場:武器庫でプリミスラオは娘を自分の意思に従わせようとする。代々のポーランド王の銅像の前で誓い、オットーネと戦うことを誓い戦いにおもむく。オットーネが現れ、クネゴンダに殺してくれという。しかしクネゴンダは、オットーネに戦場で戦わせ、オットーネは名誉を獲得し、息子としての義務を果たした。

第三幕

第一場:プリミスラオは兵士に熱弁をふるう。

    戦闘でポーランドが勝利をおさめる。

    冑をかぶり男装したクネゴンダは、激しくオットーネに抵抗するが、オットーネは途中で彼女だと気づき、救う。プリミスラオが死んだという噂が流れる。クネゴンダはオットーネに悪口雑言をあびせる。ジュディッタは愛するプリミスラオが負傷しているのを発見する。彼女が助けを求めてる間に、エルマーノがきて兄弟の敵をとるためプリミスラオを殺そうとする。二人は、それぞれに、神の正義の裁きのゆえと認識し、その結果を受け止めようと思う。

第二場:ジスモンドは勝利を祝う。捕虜と戦利品が見せびらかされる。エルネストは王に娘ジュディッタと結婚したいと申し出る。ジスモンドはクネゴンダに息子オットーネと結婚するようにと言う。ジュディッタはプリミスラオへの愛のゆえに良心の呵責にさいなまれる。

第三場:ジスモンドは軍隊に感謝する。父プリミスラオを殺したとされるオットーネに対するクネゴンダの憎しみはおさまらない。プリミスラオが現れクネゴンダの手をオットーネの手に置く。エルマーノからの手紙で、ジスモンドは、天幕の崩壊はエルマーノの仕業で、復讐してプリミスラオに恥をかかせようとしたのだと知った。エルマーノは過ちをみとめ、自決する。ジュディッタはプリミスラオへの愛を認める。ジスモンドは改心したプリミスラオと娘ジュディッタ、息子オットーネとクネゴンダを結婚させる。エルネストは、私情より公益を優先させ、結婚を認める。

 

 

| | コメント (0)

ヴィンチのオペラ《ポーランド王ジスモンド》その1

新しい年となりました。今年もよろしくお願い申し上げます。昨年度は、いろいろな不自由を味わった1年でしたが、今年はそれが少しでも解消される方向に進むことを願っております。

さて、バイロイト・バロック・オペラ・フェスティヴァルの続きである。

フェスティヴァルの一番の目玉は、ポルポラのオペラ《Carlo il calvo》であることは明白で、フェスティヴァルの関連サイトでテーマ音楽のようにかかるのはポルポラの音楽であった。このフェスティヴァルではもう1つオペラ全曲をコンサート形式で上演した。

それがレオナルド・ヴィンチ(言うまでもなく画家ダ・ヴィンチではなく、画家より230年ほどあとに南イタリアで生まれた作曲家です)のオペラ《ポーランド王ジスモンド》である。こちらは、ツェンチッチおよびパルナッサス・プロダクションによりCD録音とヨーロッパ各地でのコンサート上演がなされており、満を持してバイロイト・バロック・オペラ・フェスティヴァルに持ってこられた演目と言えよう。

一時は、facebook あるいは別のサイトで観ることが出来たのだが、現在は視聴が出来ない。フェスティヴァルとは別のところでコンサートをした時のものが Youtube にあがっている(それはほぼ全曲といってよいのだが、終わりの10分程度が切れているー版権の関係なのだろうか、単純なミスなのだろうか)。

もちろんCDはParnassus から出ていて、ヨーロッパのレコード賞にノミネートされたりしている。Leonardo Vinci 作曲 Gismondo re di Polonia  3cd 9120104870017  である。

キャストは、フェスティヴァルのものと、CD録音の時のものと、Youtube にあるヨーロッパのどこかでのコンサート形式の録画のものとは非常によく似ている。というか主要登場人物は同じである。ツェンチッチがタイトルロールのジスモンド。ユーリ・ミネンコがオットーネ。ゾフィー・ユンケルがクネゴンダ。アレクサンドラ・クバスークルクがプリミスラオ。ジェイク・アルディッティがエルネスト。ここまではCD録音と同じ。異なるのはHasnaa Bennaniがジュディッタ(フェスティヴァル)かDilyara Idriska がジュディッタ(CD)。CDにのみニコラス・タマーニョのエルマーノがいる。ここから判るように、コロナで演奏時間短縮することが求められたのか、出場予定の歌手に何らかの移動制限がかかって出場できなくなったのかは不明だが、フェスティヴァルにはエルマーノの役がなく、少しばかり短縮版となっている。

オーケストラは古楽器・ピリオド楽器を用いた {oh!}Orkiestra Hostoryczna という難しい名前の10数人のグループでこれを率いるコンサートマスター(コンサートミストレス)兼音楽監督がMartyna Pastuszka で非常に生き生きとした演奏をしているし、個々のメンバーのノリのよい様子がYoutube からも見て取れるだろう。やっつけ仕事ではなく、ヴィンチの音楽が一人一人のメンバーに入っていて、個々人が積極的に関与している感じが素晴らしい。こういう気配は、大人数のオーケストラよりも、少人数のグループの方が聞き手としては看取しやすいし、彼らの歌手との掛け合いや楽器同士のメロディーの受け渡しなどが見て、聞いて楽しい。

フェスティヴァルのプログラムとCDのライナーノーツの筆者は同一(ボリス・ケアマン)であり、同一内容である。かいつまんだ内容を以下に記す。

《ポーランド王ジスモンド》は1727年ローマで書かれたのだが、リブレットは約20年前にヴェネツィアでフランチェスコ・ブリアーニが作曲家アントニオ・ロッティのために書いたものの焼き直しである。ブリアーニとロッティによるオペラは1709年にデンマークのフリードリヒ4世が当時ヴェネツィアを代表する歌劇場であるサン・ジョヴァンニ・グリゾストモ劇場への来訪を記念して上演されたものだ。この劇場では翌1710年にヘンデルのオペラ《アグリッピーナ》が上演されているし、4人は同一メンバーだった。

1708/09年のフリードリヒ4世の来訪は社会的なセンセーションを巻き起こした。彼は70人以上の臣下を連れており、劇場や歌劇場に行き、ムラーノではガラス製品を注文し、大運河でレガッタを観覧した。その様子は絵画にも描かれ、ブリアーニはリブレットの献辞で、37歳の君主を平和と軍事行動の双方を愛する理想的君主とたたえている。そのリブレットのタイトルは《寛容な勝者(Il vincitor generoso)》でその含意するところはフリードリヒ4世であったし、それはデンマーク宮廷へのブリアーニの就職活動でもあった。

ヴィンチはこのリブレットを、アリアは別として、その他の部分はそのまま用いており、そのことはこのオペラを考える際のベースとなるだろう。

以下、その2へ。

 

| | コメント (0)

« 2020年12月 | トップページ | 2021年2月 »