ポルポラ作曲《Carlo il Calvo》
ポルポラ作曲のオペラ《Carlo il calvo》を観た。観たと言っても、直前の項目で記したように Facebook および Youtube で観たのである。
今年の9月にバイロイト・バロック・オペラ・フェスティヴァルが催され、その中の最大の呼び物がこの演目であった。もう1つのオペラはヴィンチ作曲の《Gismondo re di Polonia》で、こちらも演奏のレベルは非常に高いものであったが演奏会形式であった。ポルポラの《Carlo il calvo》はツェンチッチの演出で(彼はロタリオという登場人物で歌も歌っている)、原作がカール大帝の孫のカルロ禿頭王の時代(9世紀)から20世紀のキューバに変えているのだが、ツェンチッチ演出の常で、読み替えた後の設定、演出は細かいところに神経が行き届いているのだった。
ポルポラの方は、蘇演で、1730年代にローマで初演されたのだが、19世紀、20世紀を飛び越えて21世紀に蘇ったのである。
キャストは、タイトル・ロールのカルロ禿頭王が、少年役で、歌わないモック役である。カルロの母親ジュディッタ(先王の二番目の妻)がSuzanne Jerosme. カルロの腹違いの兄ロタリオがツェンチッチ。ロタリオの息子アダルジーゾをフランコ・ファジョーリ。ジュディッタの連れ子ジルディッペをユリア・レジネバ。同じくジュディッタの連れ子エドゥイージェをNian Wang が、エドゥイージェの婚約者ベラルドをブルーノ・デ・サが演じ、他にアスプランドを演じたPetr Nekoranec がいる。
指揮はジョルジュ・ペトルー。オケはアルモ二ア・アテネア。
レジネバ、ファジョーリ、チェンチッチが出て指揮がペトルーというだけでいかに豪華な顔ぶれかがおわかりいただけると思うが、その他のメンバーも素晴らしいのである。レジネバの姉妹エドゥイージェを演じたNian Wang はメゾソプラノの中国人歌手で脇役だけあって、超絶技巧を駆使する曲はないのだが、しみじみと聴かせる曲があり、これがなかなか味わい深い曲で、ポルポラの作曲家としての力量に目を開かされた。Wang の声のテクスチャーの美しさも特筆もの。また、エドゥイージェの婚約者のブルーノ・デ・サは、特異な声の持ち主で、英語プログラムには男性ソプラノと記されているが、たしかにカウンターテナーの裏声とは異なり、まったく女性の声と区別がつかない。
悪役のアスプランドのPetr Nekoranec もアジリタでわずかに乱れたところがあるものの、端正な美声の持ち主であった。カルロの母親ジュディッタ役のSuzanne Jerosme も声、音楽性、演技にバランスのとれたすぐれた歌手とみた。
主役3人も、コロナでほかの仕事がなかったせいか、音楽的表情も演技も念がいっていて、これが初演とは思えぬ歌唱、演技。これまでポルポラのアリア集は何枚か聴いていたのだが、今回初めて1つのオペラを全曲を通して何度も見て、作曲家としてのポルポラを見直した。ロンドンでヘンデルのライヴァルとして活躍したというのが今までピンときていなかったのだが、今回はじめて納得した。
アリアで一曲魅力的なメロディーを書くというのと、オペラ1曲全体を構成していくのは別ものだと思うが、この《Carlo il calvo》は、どの登場人物にも魅力的な曲がそれぞれのキャラクターにあわせて登場するのだ。
むろん、それは指揮者およびオーケストラのクリエイティブなサポート(というのも3拍子系の曲が多く、凡庸な指揮者であったら退屈な曲になってしまいかねないなあ、と思われる曲が魅力的に聞こえる曲が複数あった)があり、かつ、歌手も力量があり、曲を入念に仕上げているということが大きく作用していると思う。
そもそも、ウィーン古典派、ロマン派以降の曲と比べて、バロック・オペラのアリアは、歌手依存性が高いと思う。ダ・カーポ・アリアにしてもABA'のA’の部分でどの程度装飾をつけるか、つけないかは歌手しだいだ。また、スコアにしても例外はあるが、楽器を細かく指定しているとは限らない。演奏者の裁量に任されている部分が相対的に大きい。逆に言えば、作曲家は初演の時点で、誰がどの役を歌うかがわかっていて、彼、彼女はどんな声域か、どんな装飾音をつけるか、どういう装飾音のパターンが得意かなどを知って書いている場合が多いのだと思う。
というわけで、この上演の演奏は、歌手、指揮者、オーケストラのいずれも高度なレベルで、しかも入念に曲を仕上げており、繰り返しの視聴に耐えるというばかりか、むしろ繰り返し見るほど、聴くほど、その素晴らしさのディーテイルをこちらが発見していくことになるであろうという希有な快演だ。
あらすじ、その他は次項にて。
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