ポルポラ作曲《Carlo il calvo》第三幕
ポルポラ作曲オペラ《Carlo il calvo》の第三幕のあらすじ。
第一場:エドゥイージェはベラルドの労をねぎらい、アダルジーゾに同情する。ベラルドはエドゥイージェに同情しすぎないよう警告する。エドゥイージェは彼をなだめる(アリア:Quello che sente il core).
第二場:ベラルドとアスプランドが会い、ベラルドはアスプランドを裏切り者だと非難し、アスプランドはベラルドこそ姦淫者だと非難する。馬上槍試合で決着をつけようとする(アリア:Su la fatale Arena) ベラルドの高揚した気分を表すアリア。
第三場:アスプランドは恐怖を感じるが勇気をふりしぼる(レチタティーヴォ・アコンパニャートとアリア:Plena di sdegno in fronte)
第四場:ジルディッペは、アダルジーゾがカルロをロタリオの元から連れ戻さなかったといって非難する。アダルジーゾはジルディッペの捕虜となる。彼女の心は、アダルジーゾへの愛と母への従属の間で引き裂かれる。アダルジーゾは決意をうながす(二重唱:Dimmi, che m'ami)
別世界につれていかれる愛の二重唱。ファジョーリとレジネバでなければ不可能であったろうゆっくりとしたテンポでありながら、少しもだれることのない甘美な世界。演出では、アダルジーゾとジルディッペが床の上で抱き合う。
第五場:ジュディッタが息子を奪われたことを嘆く。アダルジーゾは壁紙を張ったドアに隠れている。演出では、アダルジーゾは椅子にすわり、後ろ手にくくられているフリをしている。
第六場:ロタリオは戦いで追いつめられる。彼はカルロをジュディッタのところへ連れていき、彼女一人に罪の告白をしたいと言う。ジュディッタは衛兵にさがらせる。ロタリオはドアを閉めると彼女を脅す。彼女がカルロは庶子であるという告白書をでっちあげるか、さもなくばロタリオがカルロを刺し殺すという。ロタリオが剣をカルロの喉元に突きつけるとアダルジーゾが隠れたところから飛び出し、父の手からカルロを奪い、ドアをあけて衛兵を入れる。アダルジーゾの叱責でロタリオは正気に返り、ジュディッタに許しを乞う(アリア: So, che tiranno io sono)。演出では、ロタリオの妻が乱入し、アスプランドを撃ち殺す。ロタリオは悲しみにくれる。そのショックで自分の非を認めるようになり、アリアを歌う。
第七場:ジュディッタはアダルジーゾに感謝し、ジルディッペとの結婚を認め、将来の神聖ローマ皇帝として敬意を表する。カルロにアダルジーゾの行為を忘れぬよう説く(アリア:Questo chi miri)。8分の3。演出では、ジュディッタが歌う間、カルロの身体的不自由を表象していた装具がアダルジーゾにより取り外され、カルロは自由に動けるようになる。
第八場:アダルジーゾは、この災厄の後に、ジルディッペとともに平和な未来を期待できることを喜ぶ(アリア:Con placido contento)。ジュディッタ、ジルディッペ、エドゥイージェ、その他が集まり祝福的場面となる。その後、ジルディッペがカバン・アリア(ポルポラのオペラ《Siface》のアリア’Come nave in mezzo all'onde') を歌う。このアリアをここに挿入したのは天才的アイデアだと思う。このアリア自体は、もともとは、金管楽器が活躍する勇壮な英雄的アリアであるのだが、それをここではダンサブルな表情を加え、舞台上の人物は皆、踊り出し、ジルディッペ(レジネバ)も踊りながら歌う。このオペラ全体を締めくくる祝祭的な気分が音楽の中から満ちあふれ、湧き上がる喜びのひとときで、レジネバの歌唱は完璧で、かつ、ペトルーの指揮、オーケストラのサポートも非の打ち所がない。こんな風にカバン・アリアでクライマックスを持ってきて違和感がないどころか、音楽的表情を変えることによってこのオペラ自体の魅力を一層増すことに貢献しているのだ。しかしこんな天才的な荒技は、歌手、指揮者、オケの音楽性、技術が高度なレベルでそろっていてなおかつ綿密な練習のたまものであろう。楽しげにやすやすと歌っているように聞こえるアリアだが、別次元に達した奏者の境地と言えよう。曲のつなぎ、パッサッジョの部分すら音楽の喜びに満ちた豊かなものとなっている。ポルポラが大作曲家であったことがダメ押しのようにわかる一曲。このあとは登場人物一同がテーブルについて合唱でことほぎ終わるはずなのだが、ロタリオが妻に毒殺されて倒れて幕となる。
以上が《Carlo il calvo》の第三幕のあらすじで、めでたしめでたしとなる。
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