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2020年5月18日 (月)

CD『カルネヴァーレ 1729』

『カルネヴァーレ1729』という変わったタイトルのCDを聴いた。一風変わったタイトルだが、簡単に言ってしまえば、1729年にヴェネツィアのカルネヴァーレのシーズンに上演された様々な作曲家のオペラからのアリア選集である。歌っているのはアン・ハレンベリ(スウェーデン出身のメゾソプラノ)。オケはイル・ポモドーロで指揮というかコンサートマスターはステーファノ・モンタナーリ。

以下、CDのライナーノーツに依拠しつつ、1729年の特殊性についての説明。

バロック・オペラの時代、ヴェネツィアで毎年新作オペラが上演されていた、しかも複数の劇場が競い合って新作オペラを当時人気の作曲家に作らせていたのだが、1729年は特別な年だった。ヴェネツィアではないが、ロンドンでヘンデルが深く関与していたロイヤル・アカデミーが前年に倒産し、それまで彼らが雇っていたイタリアの超一流の歌手を手放したのだ。競い合う劇場にとって、人気作曲家がオペラを作曲してくれることも大事だったが、人気歌手の獲得はそれ以上に観客を惹きつける上で最重要なことだったと言えよう。ロイヤル・アカデミーの倒産でロンドンから放出されたのは、セネジーノことフランチェスコ・ベルナルディ(カストラート)、メゾのファウスティーナ・ボルドーニ、ソプラノのフランチェスカ・クッツォーニである。自由になった三人の人気歌手、クッツォーニはウィーンへ、セネジーノとファウスティーナはヴェネツィアのサン・カッシアーノ劇場に雇われた。

こうしたわけで、毎年、カルネヴァーレ(カーニヴァル)のシーズンには新作オペラ上演は盛んだったのだが、とりわけ1728年12月26日から1729年2月27日のシーズンは特別だったのだ。サン・ジョヴァンニ・グリゾストモ劇場とサン・カッシアーノ劇場が火花を散らしていた。サン・カッシアーノが前述のようにセネジーノとファウスティーナを得て注目を集めた中、サン・ジョヴァンニ・グリゾストモ劇場は最高のカストラート、ファリネッリを雇い、これが彼のヴェネツィアデビューとなった。ヴェネツィアでは、ファリネッリとボルドーニの話で持ちきりで、ボルドーニはイギリス人やフランス人に人気で、一方、イタリア人はファリネッリ支持と、当時の在ヴェネツィア・イギリス領事が報告している。

ちなみに、詳細は不明だが、この時期ヘンデルは、イタリアを旅しており、29年3月にはヴェネツィアから弟に手紙を書いている(ホグウッド)ので、このシーズンのオペラを見た可能性は高いだろう。

このカルネヴァーレ・シーズンの幕開けは、レオナルド・レオの『ウティカのカトーネ』。リブレットはメタスタジオ。ファリネッリはアルバーチェを歌っている。タイトル・ロールはニコリーニことニコラ・グリマルディ(アルト・カストラート)が歌った。チェーザレ役はもう一人のカストラート、ドメニコ・ジッツィ。

翌日、12月27日にはサン・カッシアーノ劇場が、ジェミニャーノ・ジャコメッリの『ジャングイール』で幕開け。リブレットはゼーノの旧作に手を入れたもの。ジャコメッリはアレッサンドロ・スカルラッティの弟子だった。

上記の2劇場の他にもサン・モイゼ劇場をジュスティニアーニ家が運営し、1月24日アルビノーニの新作オペラ、フィランドロが上演された。残念ながら全曲のスコアは消失してしまったが、アリアの楽譜が残った。

サン・カッシアーノ劇場の新作2作目は、ジュゼッペ・マリア・オルランディーニの《アデライーデ》(同名の自作を大幅に書き換えた実質上新作)だった。このフィレンツェ出身の作曲家は、ヴィヴァルディとならんでオペラの新しい音楽様式を作り出したという。この曲の注目点はファウスティーナの歌う部分で彼女には長大なソロが与えられ、お得意のコロラトゥーラもたっぷりある。彼女はまた、同音を素早く繰り返すのも得意だった。このCDにはセネジーノが歌ったアリア 'Vedro' piu' liete e belle'  も収録されている。

4日後の2月12日、サン・ジョヴァンニ・グリゾストモ劇場では、ポルポラの新作 Semiramide riconosciuta が上演された。リブレットはメタスタジオの書き下ろし(新作)である。セミラーミデを歌ったのはプリマドンナのルチア・ファッキネッリ、ファリネッリはエジプトの王子ミルテオ。ポルポラはもともとファリネッリを教えた声楽の教師でもあった。彼はこのオペラでファリネッリに6曲のアリアを書いたが、ファリネッリの強みが最大限に発揮されるような曲を書いている。息の長いフレーズなどがその一端。

カルネヴァーレの最終日にその年の名曲と以前の人気曲をあつめたパスティッチョが上演されその際に歌われたレオナルド・ヴィンチの曲も収められている。

ヘンデルに戻れば、ヘンデルはおそらくヴェネツィアでこのシーズンのオペラをいくつか見て、次のシーズンにむけて歌手をリクルートしようとし、ファリネッリをねらったが、会うことすら3度拒絶され、結局ファリネッリは1733年にセネジーノやポルポラとともに貴族オペラに加わってロンドンで歌うことになる。考えてみれば、ファリネッリはポルポラの弟子(だった)のだから、それを考えるとヘンデルと組むのはむずかしかったろうと思われる。

しかしヘンデルには音楽上の収穫もあって、レオの《ウティカのカトーネ》はスコアを持ち帰り、ロンドンでパスティッチョとして上演しているし、オルランディーニの《アデライーデ》もスコアを持ち帰り、そのリブレットに基づいて《ロタリオ》を作曲している。ヘンデルは新たなオペラの潮流に直に触れ、それを取り込んだ。1730年代以降、彼の(音楽上の)スタイルが大きく変わったと評する批評家もいる。

このアルバムはCD2枚組で、実はSA-CDでMulti-channel なので、マルチでつつまれるように聴くこともできるはずだが、評者は2チャンネルの装置しか持っていないので、SAで2チャンネルで聞いた。もちろん、通常のCDプレーヤーで2チャンネルで聴くこともできる。

録音場所は、ポモドーロの録音でよく使われているイタリアのロニーゴのVilla San Fermo である。ファジョーリやツェンチッチの録音もこの場所であることが多い。2016年9月の録音。ライナー・ノートの筆者は、Holger Schmitt-Hallengerg とあるので歌手の縁者か。

ちなみに、このアルバムは収められた曲のほとんどが世界初録音である。アルビノーニも偽作のアダージョとは相当に雰囲気が異なるが、とてもチャーミングな音楽である。オルランディーニやジャコメッリもなじみがなかった。バロック・オペラの世界の豊穣さが実感できるアルバムである。

ハレンベリの歌唱は、立派なものでアジリタもよく回る。メゾらしい声なので、より高音域の華やかさを求めたくなる曲もないことはないが、それはないものねだりというものか。馴染みのない曲がほとんどなわけ(何しろ1曲を除いて世界初録音ばかりなのだ)だが、何度も聞いていると、それぞれの作曲家の作風の違いも、このアルバムの範囲ではあるが、感じられてくる。あらためて、まだまだバロック・オペラには手つかずの沃野が広がっているのだと思わずにはいられない。

 

 

 

 

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