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2020年5月25日 (月)

CD《1700》

CD《1700》を聴いた。

リナルド・アレッサンドリーニ指揮、コンチェルト・イタリアーノの演奏。

18世期のイタリア人作曲家のコンチェルトが集められているが、作曲家の共通点は、イタリアから海外に出て、イタリアの音楽的言語が、土地を離れて個人化し、さらに移住した地の音楽と入り混じったことだと、アレッサンドリーニは書いている。

最初はミケーレ・マシッティ(1664-1760)。アブルッツォ出身でナポリで音楽を学び、パリに移住した。

アントニオ・カルダーラ(1670ー1736)は、ヴェネツィア派の伝統を受け継ぎ、マントヴァやバルセローナ、ローマの後、ヴィーンに移住した。彼はマシッティよりも対位法的技法がくっきりしている。

アントニオ・ヴィヴァルディ(1678ー1741)は最晩年の1740年にヴィーンに逃れるように行き、客死した。このCDに収められたコンチェルトはコンチェルト・リピエーノで創意工夫、意外性に富んでいる。

フランチェスコ・ドゥランテ(1684-1755)はザクセンなどにも行ったらしいが、ナポリで生涯をまっとうしているし、ここの音楽院の教師として次世代の作曲家たちを輩出した。彼のコンチェルトにはそれまでの様々なスタイルが統合されており、対位法的な要素もしっかりあるのだが、カンタービレなメロディを殺していない。

フランチェスコ・ジェミニアーニ(1687ー1762)はルッカ生まれだが、21歳のときに海外に出て戻らなかった。ロンドンに長く滞在したが、パリやダブリンにも足を伸ばしている。彼のスタイルは独特だが、アレッサンドリーニによるとそれは彼のヴァイオリンの妙技の能力の高さに由来している部分が大きいのだという。

ピエトロ・ロカテッリ(1695-1764)はベルガモ出身で、ローマでコレッリの影響を受け、アムステルダムで名声を確立した。このCDに収められているのは、ローマ滞在時に妻が亡くなった際に作ったシンフォニー。

バルダッサーレ・ガルッピ(1706ー85)はヴェネツィアで活躍した作曲家だが、2つの時期に海外にいた。一度はロンドンで、もう一度はモスクワである。

最後はガエターノ・プニャーニ(1731ー98)。この人はトリノ生まれでトリノに没している。

ガルッピのあたりからそれまでと異なった方向性が窺えるかもしれない。

この演奏で驚くのは、演者はわずか7人だということだ。ヴァイオリン2人、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、テオルボ、チェンバロ兼指揮者である。しかし少しも物足りない感じはしない。あるとすればむしろ声がないということかもしれない。こういうシンプルな編成には、ならではの魅力があることを再認識した。

 

 

 

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