ドイツ・ヘンデル・ゾリステンの室内コンサート
ドイツ・ヘンデル・ゾリステンの室内コンサートを聴いた(カールスルーエ、州立劇場小ホール)。
ゾリステンの全員が出るわけではなく、曲目がトリオ・ソナタが中心であったので、演奏者は4人から8人であった。しかし、プログラムが進むにつれて、4人が7人になった時、これはもうオーケストラだという感じがあった。量だけではなく、質の転換を感じるのだ。
この日のプログラムは前半が4曲、休憩を挟み後半3曲、アンコール1曲であった。
最初はアレッサンドロ・ストラデッラ(1639-1682)のシンフォニア d-Moll 。 シンフォニアといってもヴァイオリンとチェロと通奏低音のためのシンフォニアであり、通奏低音をテオルボとチェンバロが担当していたので奏者は合計4人。名前はトリオ・ソナタではないのだが、実質上、トリオ・ソナタのようなものだ。
次はジョヴァンニ・ベネデット・プラッティ(1697-1763) のトリオ・ソナタ D-dur. ヴァイオリンとチェロと通奏低音のためのトリオ・ソナタで、編成は前の曲と全く同じ。通奏低音を1人で演奏することもあるだろうし、2人で演奏することもあるようだ。
3曲めはヘンデルのトリオ・ソナタ、F-dur。バイオリン2丁とチェロとチェンバロ。4曲目はプラッティでトリオ・ソナタ B-dur. ここではバイオリン、チェロ、チェンバロの他に、ヴィオローネが加わった。ヴィオローネは大雑把に言えばコントラバスのような楽器であるが、大きさも弦の数も不定だった。この日のヴィオローネはかなり使い込まれたとおぼしき、なで肩の楽器で、弦は5本。ちなみにチェロもエンドピンは付いていない。ヴィオローネはなんともふわっとした音色で柔らかく音楽の進行をサポートするかと思えば、ダンダンダンと低いリズムを刻む。これをステレオ(スピーカー)で再現するのは難しいだろうな、と思った。いわゆるドンシャリのドンではないのだ。
室内楽では、よくあることだが、予習でCDやyou tube で聞いていると、のんびりとして、間が抜けていて、エクサイティングでないなあと思うのだが、実演を聞くとずっとワクワクすることがある。同じ旋律を二丁のヴァイオリンで受け渡す時、生だと、奏者によって音色の違いやアタック音、フレージングの違いがよくわかる。音源の分離は最高度である。旋律自体が、挨拶や日常会話を交わしているような穏やかなものでも両者の間の測り合う感じが伝わってくるのだ。
休憩が入って後半の方が相対的に華やかな曲が多かった。
後半の冒頭はプラッティのトリオ・ソナタ C-Moll でオーボエ、チェロ、チェンバロ、テオルボだった。全体が20−30人のオケでオーボエが1−2人いるときは感じないのだが、全体が4人だとオーボエの音は大きい。またオーボエが入ることによって音色の複雑さが格段と増す。
後半第二曲はヴィヴァルディのトリオ・ソナタ C-Moll. これが意外だった。ヴィヴァルディらしくない、いつも聴き慣れているヴィヴァルディの流麗さと、その中に憂いを帯びた感じがない。これがドイツ風ヴィヴァルディか。ヘンデルをこれだけ見事に奏でる人たちだから時代様式や指が回る回らないのテクニックが問題なのではない。イタリア人だとこれが逆で、ヴィヴァルディは水を得た魚のように生き生きと弾くのだけれど、ヘンデルはなんか違う癖があってちょいと弾きにくそうなことがある。こういうローカリティを発見するのも、またいいものだ。〇〇合奏団が世界一とかいうレッテルの無意味さがわかるというものだ。
最後は再びプラッティで協奏曲in D-dur. チェロ独奏、ヴァイオリン2丁、ヴィオラ、チェンバロ、テオルボ、ヴィオリーノ。7人なのだが、まさにチェロ協奏曲という趣きを感じた。アンコールはヘンデルのシンファニアを8人全員で。
こうやって聞いてくると、3、4人のトリオ・ソナタも良いのだが、やがてオーケストラが全盛になっていくのもわかる気がする。7人、8人になった時に、ぐっと音楽が壮麗で華やぐのである。
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