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2020年2月23日 (日)

『セルセ』

ヘンデル作曲のオペラ『セルセ』を観た(カールスルーエ、州立劇場)。

セルセの台本(リブレット)は、作者不明だ。元々はカヴァッリの『セルセ』の為にニコロ・ミナートがリブレットを書き、その後、

ボノンチーニ作曲の『セルセ』の為にシルヴィオ・スタンピリアがリブレットを改定した。それをさらにヘンデルの『セルセ』の為に誰かが改定したのだが(主にレチタティーヴォを短くしたらしい)それが誰かは不明なのだ。

今回の上演は、昨年とほぼ同じ。指揮はジョルジョ・ペトルゥ、演出ツェンチッチ。タイトル・ロールが昨年はファジョーリだったのが、今年はデイヴィッド・ハンセン。ロミルダはローレン・スノーファー、セルセの弟アルサメーネはツェンチッチ。セルセの婚約者アマストレはアリアーナ・ルーカス。ロミルダの妹アタランタはキャスリーン・マンリー。

歌手はデイヴィッド・ハンセンを除き、昨年と同じ。スノーファーは去年よりずっと成熟した歌を聞かせていた。声量も十分あるし、それぞれの歌で実に的確に表情をつけていたし、アジリタも問題なし。さて注目すべきはハンセンだが、期待よりずっと良かった。ツェンチッチの演出ではセルセは1970年代のロックスターで歌の売り上げが伸びて大得意といったキャラクターなのだが、そういう単純さとか、ロミルダの気持ちをなかなか読み取れず一人よがりだったり、アタランタの策謀にコロッと騙されるそういうキャラになりきっていた。ファジョーリの場合歌の細部に神経が行き届いているためかここまで単細胞なキャラのリアリティが微妙に歌の精妙さで突き崩される部分がある。それに対し、ハンセンは声の特徴として、高い音はパーンと強い音なのだが、その下の部分ががくんと響きにくく歌詞も聞き取りずらい。音がメロディにそって高くなるとあるところでスフォルツァンドが必ずかかるのだ。ンンンウォン!という感じ。ファジョーリの隅々まで音色のコントロールまで神経が行き渡っている歌とは別物だ。しかしその荒さがこの演出にはふさわしい面も多々あると感じ、演劇的には大いに楽しめた。二幕でロミルダに迫る場面では、後ろ向きだったがお尻丸出しになる場面があり、あれは演出が去年に比べヒートアップしたのか、それともアクシデントだったのか、もう一度見てみないとなんとも言えない。二幕は麻薬や同性愛カップルが道端でオーラルセックスを示唆する仕草などがあり、拍手とブーイングが入り混じった。ブーイングは演出に対するものかと思われる。三幕ではブーイングはなかった。

改めて、ペトルゥの指揮は、断然素晴らしい。アリアの中できちっと枠を作っておきながら歌手の自由を与え、しかしテンポは巧みに戻す。またスロウな曲の後に、劇的な曲が来た時の猛烈なアタック、ダッシュが同じオケかと思うほど、エッジが立ってゾクゾクとする音を聴かせる。この人の手にかかると、ビオラやチェロの伴奏的音形が音楽的に意味を持った生き生きとしたものに聞こえる。内声が充実してくるから、旋律も生きる。これほど優れた指揮者に出会えた幸せを感謝。

カーテンコールの最後に、終幕の合唱のワンコーラスをオケと合唱団でアンコールしたのは指揮者の粋なはからいだった。

 

 

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