ヘンデル『セルセ』(再)
ヘンデル作曲のオペラ『セルセ』を観た(カールスルーエ)。
今回は、舞台向かって右手の前の方だったので、ツェンチッチ演出で使用する張り出し舞台が目の前という感じであった。
ここは第一幕の冒頭でセルセ・ショーという歌あり踊りありのエンターテイメントを演じている時の楽屋裏であり、その後もメインの舞台と
別の場所(例えばセルセとアリオダーテが電話をしている)にいることを明示するための場所なのだが、座席の関係でここで歌うと、僕の座席からごく近いので迫力があった。人物の存在も生々しくなることは言うまでもない。歌舞伎の花道がそうなわけだが、単純な額縁舞台以外の要素をどう取り入れ、どう使うかも演出家の工夫の一つだが、ツェンチッチのこの工夫は機能していたといえよう。
指揮のぺトルゥは全く見事な指揮で、彼の指揮ぶりそのものが音楽的で指揮(指示)を見て、出てくるオケの音の表情を聴いているだけで十二分に満足できるレベルなのだ。弦楽器に滑らかに奏でさせるところ、アタック音をざらつかせるところ、リズムの刻みを強調するところ、そういった区別、組み合わせが絶妙で、聞き慣れた曲から新しい表情が生まれるのだが、それがこれ見よがしではなく、ああ、こういう可能性が埋もれていたのだと気づかせ、深く納得させられるのである。
その一方で、この指揮者は、歌手への配慮が行き届いていて、前奏でダッシュして入っても、セルセ役のハンセンがテンポを落とせばそれに合わせ、またオケだけになるとテンポを戻す。こう書いてしまうと、テンポがメチャクチャになっているように聞こえるかもしれないが、2つのテンポを駆使しながら曲の枠組みはすこしも揺らぐことなく進んでいく。端倪すべからざる才能の持ち主だ。
スノウファーの歌は声質も表現も見事だった。ツェンチッチは兄王に許嫁を奪われる悲哀を遅めのテンポで嫋嫋と歌い上げていた。アマストレ役とアタランタ役の歌手は、演技を含めての歌で見どころ、聴かせどころを作っていた。パルランテを上手く生かして場面に合わせた演技、歌になっていてお芝居として大いに楽しめルもので、観客の笑いを誘っていた。
この日は上演後にサイン会があるせいかカーテンコールは短めで初日の時の合唱アンコールはなかった。またハンセンのお尻丸見えはアクシデントだったようでこの日は無事???パンツを履いたままでした。
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