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2020年1月26日 (日)

江村洋著『ハプスブルク家』

江村洋著『ハプスブルク家』(現代新書、1990年)を読んだ。

新書ではあるが、新刊ではない。30年も前に発刊された本である。しかし同じ著者の『ハプスブルク家の女たち』と併せて読むことで、

ハプスブルク家の歴史のあらましと、王や王妃のキャラクターが少しずつ飲み込めてきた。

オペラのことを調べていると、王朝や宮廷が関わっていることは多い。彼らが発注者であったり、作曲家やリブレッティスタが宮廷作曲家や宮廷詩人であることも稀ではないからだ。

例えばモーツァルトに関してはヨーゼフ2世と弟のレオポルト2世が関わっているが、音楽ファンであればヨーゼフ2世に肩入れしたくなる。しかし、この本を読むと、君主としては、ヨーゼフ2世はやや頭でっかちで、世の実情をわきまえずに改革案を出し、反対にあってそれを引っ込めるというようなところがあり、改革の志は挫折するものが多かった。レオポルト2世は兄の後を継ぐ前にトスカナ公国で啓蒙的改革を成し遂げ、オーストリアでも期待されていたのだが、皇帝になって数年で無くなってしまう。

1冊の中に何人もの君主が扱われているので、詳細が語られるわけではないが、江村氏はそれぞれの人柄や個性をくっきりと描き出している。画素数の多い写真が得られない時には、メリハリのきいた似顔絵が意味があるように、まずは、個々の君主の大まかな特徴をつかめるような書物はありがたい。細部に関しては、より詳しい伝記などを読んだ時に修正すればよい。君主の名前が単に記号でずらずらと並んでいるという感じが一番具合が悪いのだ。そうなってしまうと、大量の情報が記されていても、少し時間が経つと、その事件なり政策なりは、どの君主と結びついているのかが全く分からなくなってしまう(単に評者の記憶力が悪いだけかもしれないが)。

印象的だったのはマリア・テレジアや最後の皇帝フランツ・ヨーゼフで、ハプスブルクの皇帝は概ねどちらかといえば質実剛健で、大変に勤勉だ。マリア・テレジアの場合は、自らの即位の際に、オーストリア継承戦争が起こり、プロシアにシュレージエン地方が奪われたことが許せなかった。

20年の間に16人の子供を妊娠・出産しながら第一線で国の改革を指揮し、かつ継承戦争と7年戦争を戦い抜いているのである。決して優美な宮廷生活で贅沢三昧にふけっていたのではない。むしろ息子や娘にも浪費をつつしむように教え諭している。

最後の皇帝フランツ・ヨーゼフは帝国内の12の民族の融和をはかり、極めて勤勉に仕事に励んだのだが、時に利あらず、彼の帝国は崩壊してしまう。

ハプスブルクがある時点までは長子相続ではなく、兄弟で領地を分割していたのを知り、おそらくそれが、なぜチロル公という存在があり、インスブルックにも宮廷があったのかといったことに繋がっているのだと思った。

 

 

 

 

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