« マスタークラス | トップページ | 夢の実現展 と 甦るルネサンスの調べーレオナルドが生きた時代の音楽ー »

2020年1月16日 (木)

『ハプスブルク家の女たち』

江村洋著『ハプスブルク家の女たち』(講談社現代新書、1993)を読んだ。

1993年に出た本だからまったく新刊ではない。評者にとってはとても面白かった。

面白かった点を全てあげることはできないが、例えば、ハプスブルクにもイタリア(イタリアという国はなかったが統一前のイタリア半島)からお嫁にきたお妃が何人もいたこと。マクシミリアンの後妻としてミラノのスフォルツァ家からビアンカが来る(ただし、マクシミリアンは最初の妻マリアを愛しており後添えは、まったく政略結婚だった)。最後の皇帝カール1世の妻ツィタもパルマ公女(実際に生まれたのはルッカ郊外だが)で、オーストリア人からは「イタリア女」として煙たがられた。これは第一次大戦中に彼女の兄たちがフランスとオーストリアの和平を戦争中に画策しそれが発覚したことも関係しているという。

また、身分の異なる者同士の貴賎結婚の実例とその対処のされ方もいくつかの例が挙げられている。16世紀前半、皇帝の息子であるフェルディナント大公がアウグスブルクの豪商の娘フィリッピーネと結婚する。結婚は認められたものの、二人の子供達には一切ハプスブルクの相続権は認められないのだった。こういった処置の仕方は範例となって、第一次大戦のきっかけとなった皇太子暗殺事件の時の皇太子夫妻も貴賎結婚で子供たちの相続権を放棄することを宣誓させられている。この場合は夫人はボヘミアの伯爵の娘であり、まったくの庶民ではないのだが、こういう身分の人でも貴賎結婚になるのだと驚いた。

王家だから基本的には政略結婚なのだが、親の思惑通りに結婚しない人もいるのである。

あるいは、著者の女性の描写の言葉に立腹なさる方もいるかもしれないが、この時代では、とか、当時は、という言葉が省略されている。15歳くらいで結婚するのが当たり前の時代だと、20代になると結婚するのが遅めとなるし、結婚して30歳になると。。。さらには50歳で老女という現代女性に対してはありえない表現がある。周知のように年齢の感覚は大きく変化する。昔は日本でも人生50年と言われたのがいまは人生100年である。男の場合でも筆者が大学の時に授業で読んだ、ヘンリー・ジェームズの「50男の日記」という作品では明らかに50男は老人だった。

変われば変わるものだ。

|

« マスタークラス | トップページ | 夢の実現展 と 甦るルネサンスの調べーレオナルドが生きた時代の音楽ー »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« マスタークラス | トップページ | 夢の実現展 と 甦るルネサンスの調べーレオナルドが生きた時代の音楽ー »