チェスティのオペラ《ラ・ドーリ》その1
チェスティ作曲のオペラ《ラ・ドーリ》を観た(インスブルック、州立大劇場)。
ピエトロ・アントニオ・チェスティ(1623—1669)のオペラ《ラ・ドーリ》は今回数百年の時を隔てて蘇演されたのであり(今回の上演は2回で、著者が見たのは2回目の8月26日の上演である)、作曲家、リブレッティスタ、作品、上演について数回に分けてやや詳しく紹介したいと思う。
というのも、今回初めて作曲家チェスティのオペラの上演に接してみて、曲として非常に楽しめたし、リブレットのストーリー展開も複雑かつ興味深かったし、上演の質も極めて高く、稀に味わう満足感を得たからだ。
作品名は正式には《La Dori o’ vero La schiava fedele》(ドーリまたは忠実な奴隷)という題名だ(editionによって別のタイトルもある)。チェスティは決してよく知られた作曲家とは言えないだろうが、モンテヴェルディやカヴァッリ(1602−1676)の次の世代の作曲家である。今回の上演を観て、聞いて、彼の音楽が随分とメロディーの喜びに満ちていることを知った。カヴァッリと比較して二重唱やアリアの際に、メロディーラインがくっきりしている。プログラムの解説にはメロディーの結晶化という意味の言葉があり大いに納得した。レチタティーヴォの部分ではモンテヴェルディやカヴァッリを想起させられることがしばしばあったのだがアリアや二重唱になるとむしろヘンデルやヴィヴァルディらを先取りしている感じなのである。
リブレッティスタはジョヴァンニ・フィリッポ・アポッローニ(c.1620—1688)。この作品が作られた時期、チェスティはインスブルック(ハプスブルクの宮廷があった)の宮廷作曲家であり、アポッローニは宮廷詩人であった。二人ともアレッツォの出身で、かつフィレンツェで同じグループに所属して活動していた時期があり、チェスティの引き、あるいは彼らのパトロンであったジャン・カルロ・デ・メディチの推薦によって、インスブルックの宮廷詩人となった。
《ラ・ドーリ》のあらすじは続きで。
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