オペラ〈アルチーナ》
ヘンデルのオペラ《アルチーナ》を観た(ザルツブルク、モーツァルト劇場)。
ザルツブルク音楽祭(festspiele なので音楽には限らないし、演劇も上演しているのだが慣例に合わせこう呼んでおく)のメイン会場となる3つの劇場はそびえ立つ岩山に接してあるいは岩山をくり抜いて横並びに並んでいるわけだが、モーツァルト劇場(Hause fur Mozart)は一番舞台の幅が狭く、モーツァルトやバロックに向いていると言って良いだろう。岩が露出しているフェルゼンライトシューレも、舞台の幅は広いのだが客席はさほど大きくないので、バロックや現代物が上演される。
(もちろん例外はある)。
今回の《アルチーナ》は、聖霊降臨祭の時にバルトリが中心となってオーガナイズしたプロダクションの再演である。ザルツブルクで催される芸術祭(音楽祭)と言えば夏のものが伝統もあり中心的なものであるが、近年は他のシーズンにも催され、それは厳密に言えば組織体や芸術監督・音楽監督が異なり、バルトリは確か精霊降臨祭の方の音楽監督であったかと思う。。。調べてみると、彼女は2012年に聖霊降臨祭の芸術監督となり、2014年にはその任期が2021年までに延長されたのだった。今回のオケを担当したモンテカルロ歌劇場のオケ(Les Musiciens du Prince-Monaco)も彼女のイニシアティヴで創設されたものである。バルトリはキャリアの初期から独自のレパートリー、新たな音楽シーンを切り開いてきたわけだが、2010年代に入ってからは自分の芸術観を具現化する組織を手に入れ、それを実現していると言えるだろう。プログラムの解説にもある通り、彼女の活動の中心はザルツブルクになってきており、2013年にはノルマ役をここでデビューし、ヨーロッパ各地で歌っている。
さて今回の《アルチーナ》ではタイトル・ロールの魔女アルチーナをチェチリア・バルトリが歌い、彼女の魔術でとらわれの身となったルッジェーロをフィリップ・ジャルスキーが歌う。アルチーナの妹モルガーナは、しみじみとした曲、コミカルな曲があり歌い手にとってお得?な役だと思うがサンドラン・ピオ。バルトリ、ジャルスキーの歌唱レベルが、いや演技も発声も高いレベルにあるので、求める水準が高くなっていることを断った上で言うと、ピオの問題点は言葉、歌詞の言葉が聞き取りにくい点にある。子音がまるまってしまい判別できないのが1つ。もう1つは、曲によるのだが、単語ごとにアクセントをつけて、フレーズとしてのアクセントの位置がわからなくなってしまうことがままあった。ジャンルーカ・カプアーノの指揮とオケは見事に音楽的で歴史的な情報に配慮した演奏が、微塵もカビ臭くないどころか、実に生き生きとしているし、ヘンデルの中でも演奏機会の多い《アルチーナ》では弾き手も聴き手も余裕を持って(いい意味の緊張はある)音楽が進んでいく。
演出はミキエレット。現代服。舞台を2つに区切る大きなスクリーンがあり、そのスクリーンは回転舞台の上に乗っていて、舞台全体を前後に二分していることが多いが、バルトリが老婆(魔女の正体)とそのスクリーンを挟んで向き合ったりする。老婆の他に少女も時々でてきて、これもアルチーナの分身らしい感じ。隣席にいたイタリア人同士が話しているのが漏れ聞こえてきて、少女はアルチーナの魔術の化身(擬人化)と言っているのを聞いてそうかもしれないとも思った。この2人とイタリア人は、休憩時間に延々とリブレットについて語っている。リブレットがイタリア語で書かれているからこそではあろうが、歌手や指揮や演出はそっちのけで、台本について細かいところをここはこういう意味だとか話し込んでいる客を初めて見た。
バルトリに関して個人的に言えば、ギリギリまで叙情性を発揮して観客の感情移入を求める曲よりも、アクロバティックな超絶技巧を披露する方が彼女の本領発揮という感じがする。叙情的な曲では、紙一重のところでやりすぎ感を感じることがなくはない(劇場では満場の大拍手であることを付け加えておかねば不公平であろうけれども)。ジャルスキーの場合は、そこがクールと言えばクールで感情を込めつつ、節度が保たれており、音楽としての形が美しい。叙情的な曲ではほとんどの歌手がテンポが遅くなり、伴奏だけの部分で指揮者がricupero (元のテンポに戻す)してやる必要があり、優れた指揮者はそれをさっとやるのだが、凡庸な指揮者だとそのままテンポがズルズルと遅くなり、曲がだれてしまう。ところがジャルスキーやファジョーリのような音楽性において傑出した歌手になると指揮者がricuperoしてやらなくてもすっと元のテンポに戻れるのである。いずれにせよ、歌手としてはこの2人が傑出していた。ジャルスキーも若いとは言えないし、日の出の勢いという感じでバリバリ歌うというのではなく、最後のircana のアリアでは息継ぎや力の配分がギリギリのところなのだろうと推察された。ついでメリッソを演じたアラステア・マイルズ。声質で魅了されるというよりは言葉がはっきり伝わり、かつ、声の表情にメリハリが効いているので、脇役として場面、場面がピリッとしてくる。
最上階のせいか、リュートやハープの活躍する場面ではPAが目立たないように使用されていたように思う。少年オベルトの歌うところでは使用されておらず、2幕の冒頭でも使われておらずという具合に、PAの使用にオン・オフがあったように思われた(劇場関係者に確認したわけではない)。PAが入ると、リュートの音がはっきり聞こえるのみならず、弦の響きも少し賑やかになるのだ。微妙な差異なので気にならない人には気にならないであろうレベルであった。
指揮・オケ共に技巧も音楽性も卓越し、かつスイングして申し分ない。古楽器奏者、演奏団体の層は着実に厚くなっている。
イタリアの騎士物語の長編詩を基にしたバロック・オペラは今や極上のエンターテイメントとして享受されている。
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