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2019年4月30日 (火)

『彼女は笑う』

マスタンドレア監督の『彼女は笑う』を見た(イタリア映画祭、有楽町朝日ホール)。

ヴァレリオ・マスタンドレアと言えば、俳優と思っていたが、この作品が長編としては初の監督作品だという。この作品の上映前に彼が以前に監督をした短編『3.87』が上映された。こちらは、労働災害、労働現場での死亡事故がテーマで、シュールなタッチだった。

『彼女は笑う』は、夫が工場で突然死んでしまった(事故死)女性が、その一週間後のお葬式をひかえ、なぜか泣けない、涙が出てこない、そのことで子供ブルーノからも責められる、という話。どう夫の死を受け入れるのか、喪という心の作業がどう進むのか、停滞するのかを描いた作品。そこに夫と夫の兄弟、その父の激しい葛藤が絡まっている。

途中で年配の女性が主人公カロリーナのところへやってきて、こういう時でもお化粧は大事よといってメイクしてくれるのだが、そこから彼女は片方の眼、左目だけが目がくっきりとし、右目がナチュラルなままというアンバランスな状態が持続する。これはおそらく、彼女の意識・無意識の乖離を示しているのだろう。悲しいはずだが、実際にはブロックされて涙がでてこない。感情レベルで悲嘆にくれることができない状態のメタファーになっている。

主演のキアラ・マルテジャーニが来日し質疑応答で語ったところでは、主人公に近いのは監督自身なのだという。監督が自分で一番演じたい人はカロリーナだった。

良し悪しの問題ではなく、身近な人の喪失に、すぐに涙する人もいれば、呆然として涙すらなかなか出てこない人もいるのだと思う。亡き夫の父は高齢なのだが、高齢者仲間の交流も地味にじっくりとすくいあげられている。息子ブルーノと同級生との交流もなかなかコミカルなものがあり、こうしてカロリーナをめぐる家族が多角的に描かれている。テーマとして軽くはないのだが、けっして重苦しくはない映画だ、少なくとも筆者はそう感じた。

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『アルマジロの予言』

エマヌエーレ・スカリンジ監督の『アルマジロの予言』を見た(イタリア映画祭、有楽町朝日ホール)。

イタリアの人気漫画家のゼロカルカーレの漫画小説が原作とのこと。現代のなかなか職をえられない若者が主人公。その主人公は、人間大の非常に理屈っぽい話をするアルマジロと暮らしている。彼のおさななじみのカミーユ(フランス人)が亡くなったという知らせをうけ、フランスでの葬式に行くという話で、頻繁にフラッシュバック(彼女と一緒だった学校時代の回想)がはいる。

冒頭と最後はアニメで原作の画風がわかる仕組み。監督の話では原作のデザイン・絵柄にはこだわらずに、えがかれた世界(観)を活かそうとしたとのことだった。

若者が現代の苦境に、破滅型風ではなく、比較的淡々と立ち向かっているなかで、事件が起こる(たとえば家庭教師をしていた少年が修道院にはいる)というタッチが秀逸。

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2019年4月29日 (月)

『帰ってきたムッソリーニ』

『帰ってきたムッソリーニ』という映画を見た(イタリア映画祭、有楽町朝日ホール)。

これはドイツ映画の『帰ってきたヒトラー』のリメイク作である。そのことはプログラムにも記されている。筆者はたまたまDVDで『帰ってきたヒトラー』を見ていたので、驚くほど細部まで同じなのに呆れるやら驚愕するやら、考えさせられるやらだった。どちらも1945年に死んだ(はずの)独裁者が70年後の世界に舞い戻ってきて、人々の間にブームを巻き起こすという話である。しかもそこにテレビ局でしがない仕事をしている男が関わるのも同じ。テレビ局の中で女性が抜擢されるエピソードも同じ。そのしがない男の恋人におばあちゃんがいて彼女がユダヤ系なのも同じ。

 違うのはヒトラーが過去の女性関係をなつかしむ様子がないのに対し、ムッソリーニは愛人クララ・ペタッチを懐かしみ、涙ぐむ。すると現代の女性はその点には好感、共感を持ってしまう点。結論の部分も微妙に異なるが見てのお楽しみとしたほうが良いだろう。イタリア版は続編があるらしい。そこからは、独自のストーリーとなるのだろう。

 

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2019年4月27日 (土)

『月を買った男』

パオロ・ズッカ監督の『月を買った男』を見た(イタリア映画際、有楽町・朝日ホール)。

ユーモラスであり、アレゴリカルなストーリーを持った映画だ。世界の諜報機関にサルデーニャの男が月を手に入れたという情報が入る。その男を調べるために、ある若者が選ばれ、完璧なサルデーニャ人になるための訓練を受ける。これが前半で、モーラと呼ばれる独特のジャンケンや、酒を飲む姿勢などを、サルデーニャから本土に亡命?してきた男に仕込まれる。

若者はクックルマル村にやってきて、サルデーニャの不思議な習慣に遭遇し、大失態の果てに、月を自分のものにしたという老人に遭遇する。そこからの展開は、詩的でもあり、コミカルでもあり、風刺的でもある。月の世界には、サルデーニャ出身のグラムシがいたりするのだ。

月が表象するのは、希望であったり夢であったりするのだろうが、現代の物質主義の世界ではそういったものが窒息寸前でそれを回復するのは至難の技だということがこの物語では寓意的に語られているのかもしれない。

監督の住まいはオリスターノの近辺で、月の場面はそのあたりで撮影されたとのことだった。

 

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『女性の名前』

マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督の映画『女性の名前』を見た(イタリア文化会館)。

イタリア映画祭の前夜祭として、ジョルダーナ監督以下11人の監督・俳優が壇上で挨拶をした後、『女性の名前』を見た。カポトンディ演じる女性がシングル・マザーで、神父の紹介で職を得る。職場は、高齢者を介護する施設。彼女は施設長から呼び出しを受けセクハラにあう。ショックを受けた彼女は労働組合や弁護士に相談して、裁判を通じて戦っていく。その途中で同僚からの無視、村八分的扱いなど様々な困難にあうといった物語だ。介護をしている女性は、様々な国籍の女性で、カポトンディ演じる主人公は珍しくイタリア人という設定だった。

結末(裁判の結果)は、意外といえば意外なものであった。上映後の監督との質疑応答では裁判の結果をシナリオとは正反対のものにしてはどうだったのか、という質問も出ていた。

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2019年4月25日 (木)

北村暁夫著『イタリア史10講』

北村暁夫著『イタリア史10講』(岩波新書、900円)を読んだ。

 

イタリア史は近年、通史や近現代史をまとめたものや現代史を扱ったものが中公新書や岩波新書、ミネルヴァ書房や明石書店から出版されており、以前と較べるとイタリアに興味を抱いた人が歴史を知ろうとした場合に適している本が増えてきたと思う。

本書は、新書で286ページという相対的にはコンパクトな器に、古代ローマから2010年代前半までを盛り込んだイタリアの通史である。

特徴としては、筆者が述べているように、イタリアが置かれた地理的な位置を考慮に入れ、「ヨーロッパ・地中海世界の歴史の一部として、イタリアの歴史を見る」点がある。イタリアという近代国家が成立したのは1861年になってからのことなので、イタリアの各地域の歴史をバランスよく叙述するということにも目配りがなされている。

美術や音楽に関心を持ってイタリアに接した場合には、例えばルネサンス期に対する知識と中世に対する知識・情報量が著しく偏ってしまうことがある。テレビや雑誌で扱われる特集なども同様だ。

この本は自分の中にある偏りに気づかせてくれるし、扱われることがまれな時代にも、それぞれに興味深い問題、課題があったのだということを教えてくれる。

エトルスキ(トスカナに古代住んでいた人々)のルーツは謎とされていたのだが、近年の研究ではイタリアで様々な集団が混交して形成されたという説が有力だというーー知らなかった!シチリアにムスリムが稲やサトウキビ、ピスタチオおよび灌漑技術をもたらしたことなども書かれており、狭義の政治・経済に話が限定されているのではない。思いのほか充実しているのは、カトリック教会に関する叙述である。これはイタリア史において、あるいは現在のイタリアを理解する上でもカトリック教会の役割がいかに大きいかを示すものであると言えよう。

巻末には参考文献もあり(ただし章ごとではないのだが)、さらに詳しく知りたいと思えば次に読むべき本をたぐっていくことが出来る。

著者の専門のゆえか、近現代がより叙述が詳しいのだが、それは現代からの時間的距離の差のゆえに現代に近いほうが相対的に詳しく、古代は長い時代をコンパクトにまとめるのは当然といえば当然のことだろう。新書で古代から現代までを一人で書くというのはなかなか大胆なことだと思うが、読み進めた実感として中身は大変充実しているし、自分が詳しくないところ、無知なところは大いに参考になった。

 

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