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2019年3月 7日 (木)

ヘンデル・アカデミー修了コンサート

ヘンデル・アカデミー修了コンサートを聴いた(カールスルーエ、クリストス教会)。

修了コンサートは2日間あり、筆者は滞在期間の関係で1日目のみを聴いた。1日目は会場が教会で曲目も宗教曲が中心、2日目は別の場所でオペラが中心のようであった。ボニタティブスのマスタークラスでD.スカルラッティのファルサの指導を聴講したがそれは2日目のコンサートで上演されたはずで、マスタークラスの時は平服で、コンサートの時はそれなりに衣装や髪型を登場人物にあわせたはずなので観られなかったのは残念だ。スカルラッティのものは父のものも息子のものもオペラ作品を観る機会がなかなかないが、マスタークラスで見たその一部分はなかなか愉快なものだったからだ。オペラ・ブッファのご先祖という感じのものだった。またちなみにボニタティブスのマスタークラスにはカウンターテナーを4人みかけたがテノールはおらず、バスは1人しかいなかった。カウンターテナーはそのうち1人は日本人Hayato Masuda さん、1人は中国人である。その他の学生の国籍は多岐に渡っているようだった。
さて教会でのコンサートは、はじめがD.スカルラッティのソナタ、K287をオルガンで。2曲目はバッハのカンタータ「キリストは死の網目につながれたり」BWV4から「死に打ち勝てるものたえてなかりき」。ソプラノ、カウンターテナー、チェロとオルガンの演奏なのだが、同じメンバーで前日、音楽大学の教室で聴いたのと全く響きが違うことに驚愕した。当たり前といえば当たり前なのだが、同じメンバーで同じ曲なのに、演奏する空間による響きの違いがこれほど大きいとは。教会のほうがはるかに天井が高く残響が長い。だから、歌手としてはあまり個性がなく、ボーイ・ソプラノ的なビブラートのかからない声が美しく聞こえるのだと納得。
次はヘンデルの9つのドイツ・アリア集から「歌え、魂よ、神を讃えて」。ソプラノとヴァイオリン、チェロとチェンバロの構成である。ヴァイオリンは Kazue Hamadaさんという日本人女性であるが、Hamada さんの話でも、大学と教会ではまったく響きが違うので奏法も変えるとのことだった。つまり、教会ではわんわんと響くからビブラートはかけないとのこと。
次がドメニコ・スカルラッティのSalve regina でソプラノ、アルト、チェロ、オルガンだったが、このアルトを歌った Pauline Stohr さんは注目の存在。非常に深い声の持ち主なのだが、教会だと目立たず、むしろその美声は音楽大学の講堂や教室のほうが良く聞き取れるのだった。つまり、宗教曲を歌う歌手というよりは、よりオペラ歌手に彼女の特質は向いているのだと思われる。
以下同様に、バッハのカンタータやマタイ受難曲から「憐れみたまえ、わが神よ、滴りおつるわが涙のゆえに」、スカルラッティのソナタ、ヘンデルの9つのドイツ・アリアから2曲やヘンデルのIl trionfo del tempo e del disinganno から'Tu del ciel ministro eletto'などが演奏された。マタイの曲はやはり教会できくべき曲なのだと再確認。
演奏会に日本人演奏者は3人いた。バロック・ヴァイオリンで先にあげたKazue Hamada さんと Tetsuro Kanai さん、オルガンのMarie  Otakaさんが複数回演奏に加わりアンサンブルの妙を聞かせてくれた。
曲目が宗教曲が中心なので、オペラとの違いを感じたが、それと同時に、ヘンデルとバッハの曲想の違いも感じた。ヘンデルの方が、歌詞が宗教的になってもほがらかな印象で、バッハは深く心に沈潜するという傾向がある。むろん、共通する要素もあり、あえて言えばということなのだが。

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