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2019年3月 3日 (日)

ヘンデルのレクチャー

マスタークラスの教授たちによる座談会形式のレクチャーを聞いた(カールスルーエ、音楽大学)。

この日は司会がヘンデル音楽祭の芸術監督ミヒャエル・フィヒテンホルツの司会、スピーカはマスタークラスを教える歌手のデボラ・ヨークとアンナ・ボニタティブス。間にマスタークラス受講生の演奏が入ったが、演奏は、興味深いもので、同じメロディの再利用。ヘンデルはオペラとオラトリオで、全く同じメロディを使っているのだが、キャラクターが全然異なるのだ。片一方は愛する人だったかミューズだったかで、もう一方は意地悪な司祭なのだ。それを音楽的に表現するために、ボニタティブスの指導により、司祭の時には、スタッカートを多くシャカシャカした神経質な感じの伴奏にし、愛する人(あるいはミューズ)はフレージングの終わりを少し伸ばして優しげにするという工夫をしていた。なるほど、である。古楽器だからこうという教条的な態度ではなく、性格の描き分けも考えるのは言われてみれば特にオペラでは肝心なことである。

 司会者からの質問で、演出家に台本にはないような妙な演技をしろと言われたらどうするかと尋ねられ、ボニタティブスは、2つの場合があると答えていた。1つは、演出家がちゃんとリブレットを読んでいる場合。ボニタティブスはイタリア人で大抵の台本はイタリア語で書かれているので、細かいニュアンスまで理解できると本人が述べていたし、それはマスタークラスでも明らかでそれに基づきレチタティーヴォの丁寧な指導があった。もし、演出家がリブレットを読んだ上で、新しい可能性を追求しているならできる限りのことはする。そうでない場合は、あなたがやっていることにはこういうリスクがあるが、と問いただした上で最終的に応じる場合は応じるとのことだった。

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