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2019年2月19日 (火)

《紫苑物語》その3

《紫苑物語》は、世界初演であり、原作者の石川淳は別として、作曲家も台本作者も演出家も指揮者も監修者も存命であり、その方々がプログラムに寄稿しているのは実にありがたい。筆者が、モーツァルトやロッシーニやドニゼッティやヴェルディ、プッチーニの初演状況を調べようとしても、彼らの創作プロセスを窺い知ることは困難なことが多い。

演出家の笈田ヨシ氏は、インタビューをまとめたものを寄稿していて、その冒頭で「大野芸術監督にお声がけいただき『紫苑物語』の演出を担当。。。」とあり、演出家の決定に大野氏が決定的役割を果たしたことがわかる。そして、あらためて大野氏がこのオペラの創作において、単に指揮者というばかりでなく、新国立劇場のオペラ芸術監督として、正当に深く関与したということを示しているだろう。
 笈田氏の演出は、第一幕を血と暴力、第二幕を見えないものへの憧れ(第二幕に出てくる平太は、ある意味で宗頼の分身で、仏師である)で青が支配と、メリハリが効いておりわかりやすくなおかつ迫力を持ってせまるところ、エロスが支配するところ、彼岸的なるものへのベクトルが説得力を持って提示されていた。
 プログラムでさらに興味深いのは、佐々木、西村、大野、笈田の4氏の座談会が掲載されていることだ。その中で西村氏は「台本から喚起されることが非常に多く、ライトモティーフとかいろいろなものを使いながら、スコアを書き上げました」と述べている。氏の作曲ノートには、ライトモティーフとして「紫苑の主題」、「宗頼の主題」、「魔の矢の主題」が譜例としてあげられている。
 座談会で一同が盛り上がっているのが、佐々木氏がうつろ姫のセリフとしてかなりきわどいエロティックな言葉が出てくることで、西村氏はそれが嬉しかったと言い、さらに笈田氏の演出がそれをパワーアップしていたとのこと。非常に図式的に行ってしまえば、プッチーニあたりまでのイタリア・オペラでは恋愛が語られることは多いというかほぼ常にあるのだが、性愛となるとすっと避けている感じがある。それに対し、ワーグナー以降のドイツオペラでは、もっと濃密にエロスの問題が取り上げられている。《紫苑物語》の場合は、エロスや性愛の問題にがっぷり取り組んだのは、作品の魅力となっていると思う。僕は個人的には、リブレットにない強姦シーンや登場人物を裸にするというのは好まない。そういう表現が必要だという説得力がなくセンセーショナルな場面を作らんがためにそうしているのではと(これは悪い意味で)疑いを持つ演出にも昨今は事欠かないからだ。本作の場合は、そもそも原作において、主人公宗頼に関わる女性2人が、対照的で、うつろ姫は人間であるが醜く(リブレットでは美しい姫と変更されている)色情狂なのであり、千草は可憐ではあるが、聖愛の秘術を尽くし宗頼とむつみあう、という設定なのだ。であるから、台本に相当どぎついというかきわどい言葉が出てくるのも必定のことであり、またその言葉を受けとめて音楽や演出がどう応えるかがむしろ問題だと思うが、これは見事に応えていたし、宗頼の高田智宏、うつろ姫の清水華澄、千草の臼木あい、それぞれに見事にエロティックな歌唱、演技を披露してくれた。賞賛のほかはない。断っておけば、濃密にエロティックであるが、全くポルノチックではない。ドラマトゥルギーの上でも、エロスや暴力(矢で動物のみならず、人を殺める)は、そこが終着なのではなく、第2幕で崖に仏の像を彫る平太との対峙へと繋がっていくのだ。
 《紫苑物語》は、座談会で佐々木氏が示唆しているように(彼は宗頼は私だ、という極論を開陳している)、芸術家小説なのだ。宗頼は元々は勅撰和歌集の選者を父にもち、歌の道に励むはずだったのだが、そこから逸脱し、弓道しかも妖しげな弓の名人である叔父に教えを受ける。平太は宗頼のアルター・エゴ(もう一人の自分)である。こういう物語は、例えば、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を思い出してみると良いだろう。19世紀のロマン主義で芸術家の自我は肥大化していき(ワグナーが良い例だ)、芸術至上主義も生まれてくる。石川淳の小説世界は、そういった19世紀、世紀末の自家中毒的な世界が、第一次、第二次大戦によってご破算となった焼け跡から蘇るように出てきたものであり、共通する面もあるが、異なっている面もある。つまり、宗頼は、歌を捨て、弓という運動の究極のような世界を極めることで、さらにそこから一歩、精神世界(崖の仏像、鬼の歌)へと歩みを進めたところで話は終わっているのだ。
(続く)

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