《セルセ》その5
ヘンデルのオペラ《セルセ》の演出について。
これまでの項目で、筆者の思うところを書いてきたが、演出家のツェンチッチのインタビューを読んで、筆者とは全く違ったことを重視していたのだと衝撃を受けたので報告します。
少しばかり言い訳をさせてもらえば、芸術の解釈は、作った本人がこうと思った通りだけが正解な訳ではなく、ある表象が複数の異なった印象を受け手に与えることは、むしろ芸術家自身が望んでいる場合が多いので、筆者としてはツェンチッチの演出に受けた印象というのは、前に書いた通りです。
では、ツェンチッチはインタビューでどんなことを言っているのか。お断りしておかねばならないが、ツェンチッチのインタビューはプログラムに掲載されているのだが、ドイツ語で、筆者はグーグル翻訳で英語にして解読した。グーグル翻訳には不十分なところがあり、sister と訳すべきところがfiance' となっていたりして完全ではないのだが、ともかくあらましを紹介することが目的なので、ご了承いただきたい。
まず、ツェンチッチは、このオペラのテーマは運命だという。第一子に生まれたセルセは王となり権力も富もほしいままにするが、弟のアルサメーネは兄の臣下である。ロミルダとアタランタの姉妹もロミルダはセルセからもアルサメーネからも言い寄られるが、アタランタは単にアルサメーネに思いを寄せるのみだ。さらにその上で、限りのない貪欲さというのも重大なテーマだという。セルセは権力も富も持っているのだが、それで十分満足せずに、他者(弟)の恋人を、我がものにしようとする。しかも彼女(ロミルダ)が拒絶しているのに。
さらに筆者が驚いたのは、台本に関すること。《セルセ》の台本はカヴァッリ作曲の《セルセ》の台本が大元で、それをボノンチーニの《セルセ》が変更しつつ踏襲し、さらにヘンデルの台本は無名の台本作者がそれを元に書いているのだが、登場人物は7人になっている。筆者が驚いたのは、ツェンチッチは7人にしたのは、その登場人物が7つの大罪を表象しているからだという点だ。ツェンチッチは誰がどの罪に相当するということをいちいちは挙げていないのだが、例えば、セルセは貪欲ということかとか、アタランタは羨望かとか思わないでもない。しかし、《セルセ》を一種のアレゴリー(寓意劇)と解釈するのは斬新な考えだと思う。
ツェンチッチが舞台をラスベガスに持ってきているのは、現代の資本主義社会での限りのない欲望、貪欲さを象徴させる舞台にもってこいだからとのことで、それはうなづけると思った。
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