《紫苑物語》その1
西村朗作曲、佐々木幹郎台本のオペラ《紫苑物語》を観た(東京・初台・新国立劇場、世界初演)。
石川淳の短編小説が原作である。このオペラは日本のオペラに革命を起こすという意気込みで指揮の大野和士氏が取り組んだものらしいが、確かに、練り上げ方の手間と時間が尋常ではない。
プログラム(新国立劇場のプログラムはいつも充実しているのだが、今回のものは桁外れに充実している。何しろ世界初演で、作曲家の作曲ノートと、台本家、作曲家、指揮者、演出家の座談会、監修者の一文もあり、この《紫苑物語》を将来論じる人間にとって決定的な一次文献になることは疑いがない)の作曲ノートには、驚くべきことが記されている。
即ち、「2010年頃、監修者の長木誠司氏より西村朗に新作オペラ創作の提案があり、題材として石川淳『紫苑物語』が示された」というのである。ここから伺えるのは、
1.新作オペラを作ろうという発議は作曲からなされたのではない。
2.原作を選ぶのも、作曲家もしくは作曲家と台本家(リブレッティスタ)の話しあいで決められたのでもない。
ということだ。誤解を招かぬように断っておくが、私は以上の2点を非難したいのではない。自分が知る19世紀から20世紀前半のイタリア・オペラの製作過程との相違に驚いているのだ。
考えてみれば、現代において、オペラは新作オペラの上演が中心ではない。19世紀のイタリアでは、現代の映画やテレビドラマがそうであるように新作が中心であった。そして商業ベースでシーズンごとに次々と新作が作られていった。
だから、オペラ上演をめぐる状況が19世紀のイタリアと、現代の日本(のみならず欧米でも)では全く異なっている。それゆえ、新作はある程度経済的基盤のしっかりとした劇場(例えばニューヨークのメトロポリタン歌劇場)あるいは経済的基盤のしっかりとした音楽祭(例えばザルツブルク音楽祭)あるいは現代音楽に対し意欲的な音楽祭、あるいは劇場支配人のいる歌劇場からの委嘱という形を取ることになるのだろう。
続いて西村氏は「以来構想を練り続け、16年頃よりは大野和士氏の大きな支援を受けることとなった」と書いている。長木氏が2010年に提案したのだから約6年構想を練り続けたことになる。これも驚くべき長さでプッチーニの《ラ・ボエーム》と並ぶほどである。
(以下続く)
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