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2019年2月19日 (火)

《紫苑物語》その2

西村朗氏は続いて、「演出を笈田ヨシ氏にお引き受けいただき、創作が本格的に始動」。いかにも現代らしいと思われるところだが、リブレッティスタ(台本家)がリブレットを書いてテクスト(歌詞)が確定する前に創作が本格的に始動している。演出家が重視されている点も現代的である。 

 さらに「16年12月頃より詩人佐々木幹郎氏により台本作成に入った。台本完成を受けての作曲の期間は2017年10月初旬から2018年12月初旬までの14カ月間」とある。こうした作曲の経緯を、作曲家自らが開示してくれるのは大変珍しいことであり、極めて興味深い。可能であるなら、長木氏や西村氏にうかがってお尋ねしたい疑問がいくつもある。しつこいようだが、疑問があるというのは、疑義を呈するという抗議的なニュアンスは皆無で、現代のオペラ創作の過程を知りたいという純然たる好奇心・探究心からです。
 管弦楽は3管編成にピアノ1打楽器6。
 合唱が(初演時はということわりが付いているが)女声30人、男声30人の60人。
 前奏曲が弦楽のみで、内的緊張を高めて行くのだが、その後の1幕1場は婚礼の場。合唱団のパワーが炸裂する。婚礼の場であるのだが、花嫁のうつろ姫(メゾソプラノ、清水華澄)は狂気を孕んだ様子。歌詞も「とうとうたらりたらり」と呪文のような歌詞が実に効果的である。実はこの婚礼の場は原作にはない。しかし呪文のような歌詞を繰り返し、それに合わせて音楽も同じリズム、同じ音型で半音ずつ上がっていったりするのがピッタリはまる。
 そもそも石川淳の原作を選んだのは、長木氏の慧眼であると高く評価したいが、前述のように、オペラの台本はかなり原作とは異なっており、オペラ台本としての独立性、独自性をどのように、どのようなプロセスを通じて獲得したのか興味をそそられる。後述するが、プログラムの座談会によると、オペラを構想して行く途中で、作曲家、台本作者、演出家、指揮者(あるいは監修者も?)の間で様々なやりとりが交わされているようなのだ。最終的な言葉遣いは佐々木氏によるものと思われるが、場面の組み立てなどについては、上記の人が様々な段階で意見を述べて修正、改変がなされたのかもしれない。
 石川淳の『紫苑物語』は中編小説あるいは長めの短編小説で、時代は平安後期か。主人公の宗頼は、歌道の家の跡取りだが、父(勅撰和歌集の選者)との対立から地方の国司として追いやられる。そこで権勢の一族の娘うつろ姫との結婚話が持ち上がるのだが、その娘には目もくれず、そのため娘は宗頼の家来との情事にふける。ある偶然から宗頼は、小狐の変身した千草と出会い、この娘に惚れ込む。
 石川淳の小説世界は、濃密な文体を駆使してリアリズムを超越する。現実描写をずらしながら、ふっと魔術的世界に入っていく。彼の世界に入ってしまえば、宗頼の放つ矢の威力が現実場慣れしていたり、千草が実は小狐であることに違和感を抱かなくなる。問題は、その小説世界をオペラのリブレットとしてどう成立させるかだっただろう。しかもこの小説には案外、会話、対話の部分は少ないのだ。
 だから小説では、狩の場面から始まるものを、婚礼の祝宴の場面から始まるよう変更したのは、見事な転換だと言えよう。まず、祝祭的で華やかで、その点では《椿姫》の冒頭を思い起こさせなくもないのだが、《紫苑物語》の方がまがまがしく、妖しい雰囲気を醸し出しているのだ。この場面では、合唱とうつろ姫のやりとり、あるいは合唱をバックにしてのうつろ姫の歌(作曲家は、独唱カデンツァと呼んでいる)が見事で、冒頭からこのオペラの世界にぐっと引き込まれる。
 前述の通り、ここでは「とうとうたらりたらり」と呪文のような言葉が繰り返されるのだが、この言葉は原作にはない。調べてみると、能の翁に使われる言葉でやはり詳細な意味は不明とのこと。見事な工夫である。石川淳の妖術的、呪術的な世界を、オペラ化(リブレット化)するにあたり、散文的な言葉だけは不十分との判断からだろう。
(続く)

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