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2018年12月 1日 (土)

ファジョーリ・リサイタルとヴェニスバロックオーケストラのコンサート

カウンターテナー、フランコ・ファジョーリのリサイタル(伴奏はヴェニス・バロックオーケストラ)とヴェニス・バロックオーケストラのコンサートを聴いた。

ファジョーリは先頃、ヘンデルのアリア集のCDをドイツ・グラモフォンから出し、ヘンデルのアリアを歌うリサイタルを開いている。3月にカールスルーエでなされたリサイタルは当ブログで紹介した。曲目の細かい入れ替えや、演奏順序は異なっているが、コンセプトは同じと言って良いだろう。一番異なっていたのは、オーケストラでカールスルーエではイル・ポモドーロで今回はヴェニス・バロックオーケストラであったことだ。
アリア集のCDは、イル・ポモドーロと録音しているので、イル・ポモドーロはヘンデルの曲も、ファジョーリとの合わせ方も知り抜いている感じであった。また、彼らは一人一人の技量も飛び抜けて高い。イル・ポモドーロを聞く前日まで連日ヘンデル・ゾリステンを聴いて満足していたのだが、イル・ポモドーロは人数は少ないのだが、合奏の精度としなやかさと音楽性において比較を絶するレベルにあった。洗練の極みというべきか。
ヴェニス・バロックオーケストラは大変優れた合奏団であるが、イル・ポモドーロとは性格の違うオケだと思う。ファジョーリのリサイタルのプログラムは、ヴィヴァルディのシンフォニア、ヘンデルのアリア2曲、ヴィヴァルディのシンフォニアというサンドイッチ方式でヴィヴァルディの他に一曲ジェミニアーニのコンチェルト・グロッソが入る。彼らの演奏は、明らかにヘンデルの時と、ヴィヴァルディで演奏の水準が異なるのである。簡単に言ってしまえば、ヘンデルには不慣れで、ヴィヴァルディはもうずっと前から体の芯に入っているようだった。そのことに最初は驚いたのだが、彼らの演奏を聞くことにより、あるいは当日のプログラムにより、同時代人とは言え、ヘンデルの語法とヴィヴァルディの語法の違い、フレージングの違いに気が付いた。ヴィヴァルディの方が流麗であり、ヘンデルの方が構築的である。また、この日は木管楽器はファゴットのみであったが、ヘンデルのアリアは当然だがオペラからのものなので、曲によってはファゴット以外の木管楽器があればと思う時もあった。
ファジョーリの歌唱は、1音1音に神経を通わせ、ヴィヴラートにまで表情をつけ、聞き手に集中を求めるもので、一曲のアリアで1つの世界を作ってしまう。この過剰なまでの表情付けが超絶技巧により支えられていることは言うまでもない。彼でなければ、そうしたくてもできないレベルなのだ。その一方で、もっとさらっと歌い流す歌い手を好む人もいるであろうことは想像できなくもない。
意外だったのは、アンコールで観客の1人がうちわを持っていてそれにVo  solcando...と書いてあるのをファジョーリが見つけ、うちわになんと書いてあるのか見せてと言って、確認した後、コンサートマスターと一言言葉を交わし、アカペラ(伴奏なし)で歌った。会場は意外性に打たれて、大喝采。
翌日ヴェニス・バロックオーケストラのコンサートをイタリア文化会館で聞いたのだが、観客がかなり違う。こちらの方がなぜか判らぬが年齢層が高い。ここでヴェニス・バロックオーケストラはジェミニアーニの一曲を覗いて、全てヴィヴァルディの曲を演奏した。編成は弦楽器にファゴット1人。ファゴットが登場する曲もあり、登場しない曲もある。
曲目はシンフォニア RV717(歌劇《ジュスティーノ》の序曲)、ソプラノ・リコーダーとヴァイオリンのための協奏曲RV535。
この2曲目で驚いたことに、舞台左手にいたヴァイオリン奏者の女性が一度舞台から引っ込んで出てくるとリコーダーを手に登場。彼女はアンナ・フューセック(フゼック) といい、後から演奏したリコーダー協奏曲 「ごしきひわ」で判明したのだが、とてつもない超絶技巧の持ち主で、僕は度肝を抜かれたし、「ごしきひわ」という曲のイメージが彼女の演奏によりすっかり上書き更新された。今まで四季に比べて凡庸な曲というイメージを持っていたが、ヴィヴァルディに謝りたい気分である。フューセックは軽やかに軽快なテンポで演奏するだけでなく、ごしきひわの鳴き声を模して、即興的な装飾音をつけリズムやテンポを揺らし、実にスイングする演奏を聞かせてくれる。先走ってしまったが「ごしきひわ」は8曲目、最後の曲目であった。
3曲目以降はヴァイオリン協奏曲RV273, ヴァイオリンとチェロのための協奏曲RV547, 弦楽のためのシンフォニアRV168, 2つのチェロのための協奏曲RV531.
この2つのチェロのための協奏曲は、なかなかスタイリッシュな曲で、特に3楽章がカッコよかった。ワクワクする演奏であった。家でCDを調べ、ホグウッドのCDとビオンディのCDがあったのだが、ビオンディのものの方が演奏スタイルとしてはこの日の演奏に近かったが、スタジオ録音とライブ録音の違いか、当日の演奏の方が、大胆なテンポをとり、せめている演奏でずっとスリリングな味わいであった。マッシモ・ラッカネッリというチェロ奏者がこれまたとてつもない技巧の持ち主なのだ。ヴィヴァルディのコンチェルトは、曲によってはそういった技巧の持ち主によってこそ、曲想の妙味が生きることを思い知らされた一夜でもあった。
ヘンデルのアリアはゆったりとしたアリアも、激しいアリアも曲想の変化に富み飽きさせない。しかしヴィヴァルディの協奏曲群も、最近のコントラストの効いた、早めのテンポで、弦へのアタック音をしっかり聞かせる演奏で聞くと実に変化に富んでいることがわかるし、かなりの曲がドラマティックな要素を濃厚に持っているのだということを再認識した。
(追記)ファジョーリの初来日に際しては、2人の日本人女性、Bonn Jourさん、アルチーナさん(いずれもハンドル名です)等のご尽力が大きかったと聞く。招聘元のアレグロミュージックは、全てを自分の手柄にせずに、プログラムの末尾に謝辞が掲載されているのには好感を持った。プログラム自体の中身も、充実していてかつバランスが取れていたと思う。つまり、一方で、ファジョーリの経歴の紹介、写真があり、オススメのCD,DVDの紹介があり、他方で長木誠司氏による1960年代からの古楽ブームの変遷が語られ、水谷彰良氏による楽曲解説と歌詞の対訳が付いている。決して厚くはないのだが、よく出来たプログラムだと感心した。来日演奏家のプログラムのモデルたりうるのではないだろうか。最後ではあるが、ささやかな賛辞。久しぶりに、チケットがその音楽会専用のデザインであるチケットでした。コンビニで決済できるのは便利なのだが、映画でもコンサートでも全て同じガラというかデザインのチケットなのは、少し寂しい気がしていたのです。

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