« 2018年11月 | トップページ | 2019年1月 »

2018年12月25日 (火)

スピノザの『エチカ』

スピノザの『エチカ』についての放送を見た(Eテレ、100分で名著)。

講師は國分功一郎氏。
非常に興味深かった。これまで名のみ知っていて、実際には見たことも触れたこともなかったスピノザだった。たしかに、放送の中でも朗読を聞くと、字が映し出されているにもかかわらず、チンプンカンプンなのだ。しかし、國分氏の解説や、彼と対話する伊集院光のたとえ話で、腑に落ちる。
國分氏によると、スピノザはコンピュータでいうOSが違うのである。
真理というものの証明に関しても、自分の主観で真実だとわかる、その感覚を重視している。だから、自分がある階段を登ると把握できる真実が変わってくるのだ。
 真実についてはともかく、彼のいわんとするところは、芸術鑑賞なら納得がいくところだ。自分が理解して素晴らしいと思える音楽の範囲は、自分が音楽経験を重ねるにつれて変化することは体験ずみだからだ。
 いわゆる客観的に、公共性をもって証明できる真実と、そういうプロセスは踏みにくいのだが真実を把握するとしたということが本人にとって納得がいく真実がある、というわけだ。
 これは第4回の放送の議論だが、4回ともそれぞれに面白かった。時間のあるときにスピノザ読んでみようか、と思ったほどである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月 3日 (月)

『音楽祭の社会史ーザルツブルク・フェスティヴァル』

スティーヴン・ギャラップ著城戸朋子・小木曾俊夫訳『音楽祭の社会史ーザルツブルク・フェスティヴァル』(法政大学出版局)を読んだ。

新刊ではない。1993年に出た本だから25年ほど前の本ということになる。原著は A History of the Salzburg Festival  で1987年に出たもの。日本版のために終章とエピローグが書き加えられた。
だから、この本で扱っているのは、ザルツブルク音楽祭(これは通称であって、Salzburger Festspiele は、音楽だけでなく、演劇も盛んに上演されている)が1920年に誕生するまでの経緯から、1989年にザルツブルク音楽祭を取り仕切っていたカラヤンが死んで、ジェラール・モルティエに受け継がれるところまでを扱っている。
社会史というタイトルだが、実際に読んだ印象としては、個人的には伝記を読んだ感じに近い。対象が個人ではなくて、フェスティヴァルであるということ、また、そのフェスティヴァルは一生を終えたわけではなくて、現在進行中というところが大きく異なってはいるけれども。
ザルツブルク音楽祭は、創設者に演出家のマックス・ラインハルトや劇作家のフーゴー・フォン・ホフマンスタールがいることからわかるように最初から演劇と音楽の両方を上演・演奏することを考えて創設されたのである。また、実際に始まった1920年を考えて見ると想像できようが、オーストリアが第一次大戦によって帝国ではなくなり相対的に小さな領土となったが文化的な誇りを示す狙いがあった。
実際面では、この音楽祭だけではないのだが、ヴィーンとザルツブルクの主導権争いがしばしば事態を複雑化させる。
初期の音楽祭では、ヴィーン国立歌劇場の出し物を持ってくることはあったし、オケはヴィーンフィルであった。初期の頃から課題はいくつかあった。
演劇も重要な柱なのだが、外国からくる観客には言葉の壁がある。言葉がわからなくても受けるような演出にすると地元の評論家には不評となる。1920年代から、すでにアメリカの金持ちが重要なお客であったのだ。
オペラや管弦楽のコンサートにおいても課題はあった。モーツァルトのポピュラーなオペラはすぐにチケットが売り切れとなるが、20世紀オペラは切符が売れ残り、赤字となる。ザルツブルクの観客の保守性である。
1930年代になると、隣国ドイツのナチの脅威が迫ってきて、ザルツブルク音楽祭がオーストリア独立のシンボル、自由のシンボルとみなされ、逆にナチから目の敵視される。
その対立は、1938年のアンシュロス、オーストリア併合で終わる。オーストリアは併合された訳だが、ナチ歓迎派も驚くほど多かった。ザルツブルクで併合に関する住民投票が実施された時、反対票は1%に満たなかったのだ。
このあたり、オーストリアの政党事情や、州知事がどう振る舞ったかなど詳細な叙述があり興味深い。州知事レールはこのフェスティバルにずっと大いに貢献してきたのだが、併合後は逮捕され、終戦時、ベルリンの監獄から出てきたのである。
現在とは違ってこの時代は、指揮者が音楽祭で君臨している。
トスカニーニが君臨した時期、フルトヴェングラーが君臨した時期、カラヤンが君臨した時代、それぞれの専制君主ぶりがどのようなもので、ライバル関係がどうなっていたかも詳述され、なるほどなるほどである。
理論的な本としてではなく、英米人が得意な伝記の対象がフェスティヴァルになったと思って読むと、興味深いところが尽きない、というか読む人の興味によって面白い部分が変わってくるだろう。昔は、どこのバール、レストランが劇場関係者の溜まり場であったとか、誰々の屋敷が社交の場であったといったことも具体的かつ詳しく書かれている。
ずっと読んでいくと、ドイツ人とオーストリア人の気質というか振る舞い方の違いもうかがえてくる。ドイツ人は良くも悪くも徹底的で、オーストリア人は対立を解決するときに、臭いものには蓋的なパターンもありなのだ。
最近でもなぜ『イェーダーマン』というお芝居を毎年上演するかがわかった。創設者ゆかりの作品であったのだ。
オペラ上演に関しても、興味深い情報は沢山あったが、1つだけあげると、1951年の『ヴォツェック』上演が物議をかもした点だ。州議会でも激しい論争が爆発したというのである。『ヴォツェック』の初演が1925年であったことを思うと実に意外であったが、結局4回の上演がなされ、評論家の支持は受けたが、座席は40%の売れ行きで大赤字だったという。ベームの指揮だったにもかかわらず、である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ファジョーリ、ヘンデル・リサイタル(2)

ファジョーリのヘンデル・アリアのリサイタルを聴いた(水戸芸術館)。

ここは客数は800人程度なので、初台よりずっと小さいホールということになるが、ホールの形が違う。いわゆる額縁舞台ではなく、舞台はすり鉢状になった客席の底の部分に位置している。客席は半円形よりさらに開いた形で階段状に並んでいる。初台は客席はほとんどが平土間で長方形であり、二階部分に数列の客席がある。
ここで驚いたのは、ヴェニス・バロックオーケストラの音も、ファジョーリの声も違った感じに聞こえることだ。このホールでは意外なことに、コンサート・マスターの弓が弦に当たるアタック音が目立たず、オケ全体の音が溶け合って聞こえるのだ。分析的な聞き方をすれば初台の方がよく聞こえるわけだが、逆に言えば、こちらの方にはなんとも音楽的な響きがあり、とりわけ弱音になった時の音の浮遊感が美しい。
会場によって同じオケ、同じ歌手、同じ曲でも、ここまで異なって響くことに軽い衝撃をうけた。
アンコールは 'Dopo notte'と観客のボードに書いたリクエストに応えて 'Ombra mai fu' と 'Lascia che io pianga'であった。
水戸は、観客の年齢層が相対的に若かった。2人の高校生あるいは中学生男子がおり、実に熱心に拍手していたのだが、知人の話では、サイン会でファジョーリに感激のあまりハグしたそうである。カウンターテナーのファンに若い人も増えるのは嬉しいことだ。
この会場へは、水戸駅からバスなのだが、バスが次々に出ているので想像していたよりはずっとたどり着くのは容易であった

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月 1日 (土)

ファジョーリ・リサイタルとヴェニスバロックオーケストラのコンサート

カウンターテナー、フランコ・ファジョーリのリサイタル(伴奏はヴェニス・バロックオーケストラ)とヴェニス・バロックオーケストラのコンサートを聴いた。

ファジョーリは先頃、ヘンデルのアリア集のCDをドイツ・グラモフォンから出し、ヘンデルのアリアを歌うリサイタルを開いている。3月にカールスルーエでなされたリサイタルは当ブログで紹介した。曲目の細かい入れ替えや、演奏順序は異なっているが、コンセプトは同じと言って良いだろう。一番異なっていたのは、オーケストラでカールスルーエではイル・ポモドーロで今回はヴェニス・バロックオーケストラであったことだ。
アリア集のCDは、イル・ポモドーロと録音しているので、イル・ポモドーロはヘンデルの曲も、ファジョーリとの合わせ方も知り抜いている感じであった。また、彼らは一人一人の技量も飛び抜けて高い。イル・ポモドーロを聞く前日まで連日ヘンデル・ゾリステンを聴いて満足していたのだが、イル・ポモドーロは人数は少ないのだが、合奏の精度としなやかさと音楽性において比較を絶するレベルにあった。洗練の極みというべきか。
ヴェニス・バロックオーケストラは大変優れた合奏団であるが、イル・ポモドーロとは性格の違うオケだと思う。ファジョーリのリサイタルのプログラムは、ヴィヴァルディのシンフォニア、ヘンデルのアリア2曲、ヴィヴァルディのシンフォニアというサンドイッチ方式でヴィヴァルディの他に一曲ジェミニアーニのコンチェルト・グロッソが入る。彼らの演奏は、明らかにヘンデルの時と、ヴィヴァルディで演奏の水準が異なるのである。簡単に言ってしまえば、ヘンデルには不慣れで、ヴィヴァルディはもうずっと前から体の芯に入っているようだった。そのことに最初は驚いたのだが、彼らの演奏を聞くことにより、あるいは当日のプログラムにより、同時代人とは言え、ヘンデルの語法とヴィヴァルディの語法の違い、フレージングの違いに気が付いた。ヴィヴァルディの方が流麗であり、ヘンデルの方が構築的である。また、この日は木管楽器はファゴットのみであったが、ヘンデルのアリアは当然だがオペラからのものなので、曲によってはファゴット以外の木管楽器があればと思う時もあった。
ファジョーリの歌唱は、1音1音に神経を通わせ、ヴィヴラートにまで表情をつけ、聞き手に集中を求めるもので、一曲のアリアで1つの世界を作ってしまう。この過剰なまでの表情付けが超絶技巧により支えられていることは言うまでもない。彼でなければ、そうしたくてもできないレベルなのだ。その一方で、もっとさらっと歌い流す歌い手を好む人もいるであろうことは想像できなくもない。
意外だったのは、アンコールで観客の1人がうちわを持っていてそれにVo  solcando...と書いてあるのをファジョーリが見つけ、うちわになんと書いてあるのか見せてと言って、確認した後、コンサートマスターと一言言葉を交わし、アカペラ(伴奏なし)で歌った。会場は意外性に打たれて、大喝采。
翌日ヴェニス・バロックオーケストラのコンサートをイタリア文化会館で聞いたのだが、観客がかなり違う。こちらの方がなぜか判らぬが年齢層が高い。ここでヴェニス・バロックオーケストラはジェミニアーニの一曲を覗いて、全てヴィヴァルディの曲を演奏した。編成は弦楽器にファゴット1人。ファゴットが登場する曲もあり、登場しない曲もある。
曲目はシンフォニア RV717(歌劇《ジュスティーノ》の序曲)、ソプラノ・リコーダーとヴァイオリンのための協奏曲RV535。
この2曲目で驚いたことに、舞台左手にいたヴァイオリン奏者の女性が一度舞台から引っ込んで出てくるとリコーダーを手に登場。彼女はアンナ・フューセック(フゼック) といい、後から演奏したリコーダー協奏曲 「ごしきひわ」で判明したのだが、とてつもない超絶技巧の持ち主で、僕は度肝を抜かれたし、「ごしきひわ」という曲のイメージが彼女の演奏によりすっかり上書き更新された。今まで四季に比べて凡庸な曲というイメージを持っていたが、ヴィヴァルディに謝りたい気分である。フューセックは軽やかに軽快なテンポで演奏するだけでなく、ごしきひわの鳴き声を模して、即興的な装飾音をつけリズムやテンポを揺らし、実にスイングする演奏を聞かせてくれる。先走ってしまったが「ごしきひわ」は8曲目、最後の曲目であった。
3曲目以降はヴァイオリン協奏曲RV273, ヴァイオリンとチェロのための協奏曲RV547, 弦楽のためのシンフォニアRV168, 2つのチェロのための協奏曲RV531.
この2つのチェロのための協奏曲は、なかなかスタイリッシュな曲で、特に3楽章がカッコよかった。ワクワクする演奏であった。家でCDを調べ、ホグウッドのCDとビオンディのCDがあったのだが、ビオンディのものの方が演奏スタイルとしてはこの日の演奏に近かったが、スタジオ録音とライブ録音の違いか、当日の演奏の方が、大胆なテンポをとり、せめている演奏でずっとスリリングな味わいであった。マッシモ・ラッカネッリというチェロ奏者がこれまたとてつもない技巧の持ち主なのだ。ヴィヴァルディのコンチェルトは、曲によってはそういった技巧の持ち主によってこそ、曲想の妙味が生きることを思い知らされた一夜でもあった。
ヘンデルのアリアはゆったりとしたアリアも、激しいアリアも曲想の変化に富み飽きさせない。しかしヴィヴァルディの協奏曲群も、最近のコントラストの効いた、早めのテンポで、弦へのアタック音をしっかり聞かせる演奏で聞くと実に変化に富んでいることがわかるし、かなりの曲がドラマティックな要素を濃厚に持っているのだということを再認識した。
(追記)ファジョーリの初来日に際しては、2人の日本人女性、Bonn Jourさん、アルチーナさん(いずれもハンドル名です)等のご尽力が大きかったと聞く。招聘元のアレグロミュージックは、全てを自分の手柄にせずに、プログラムの末尾に謝辞が掲載されているのには好感を持った。プログラム自体の中身も、充実していてかつバランスが取れていたと思う。つまり、一方で、ファジョーリの経歴の紹介、写真があり、オススメのCD,DVDの紹介があり、他方で長木誠司氏による1960年代からの古楽ブームの変遷が語られ、水谷彰良氏による楽曲解説と歌詞の対訳が付いている。決して厚くはないのだが、よく出来たプログラムだと感心した。来日演奏家のプログラムのモデルたりうるのではないだろうか。最後ではあるが、ささやかな賛辞。久しぶりに、チケットがその音楽会専用のデザインであるチケットでした。コンビニで決済できるのは便利なのだが、映画でもコンサートでも全て同じガラというかデザインのチケットなのは、少し寂しい気がしていたのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年11月 | トップページ | 2019年1月 »