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2018年11月19日 (月)

『宗教改革とその時代」その2

小泉徹著『宗教改革とその時代』の続きです。

ルターの95箇条に先立つ40年間に主権国家が出現した。イギリスではバラ戦争ののちテューダー朝(1485-1603)が成立。ドイツでは領邦単位の統合が進んだ。

 主権国家や領邦と、普遍的(国家を横断した組織である)教会が対立することはままあった。だからルターをザクセン選帝侯フリードリヒがかくまったのは偶然ではない。

 イングランドのヘンリ8世もプロテスタンティズムの神学の細部 には何の関心もなかった。エリザベスもそうで、自国内にローマ・カトリック教会から独立した国家教会を作ることが目的だった。

 カトリック教会から離れると、王権と教皇の権威が離れるので、王権神授説が必要になる。

 イギリスにおけるカトリックの差別は、統治の問題。カトリック神学を信じているのがいけないのではなく、国家教会の儀式に参加しないのがいけないとされた。イギリスではカトリックは1829年まで市民権を剥奪されていた。

 イングランドには1530年には800の修道院があったが1540年には全て解散して(させられて)しまった。修道院の解散は修道院の土地・財産を目当てにしているわけだが、主権国家は恒常的に財政難だったので、ここに目をつけたのはイングランドだけではなく大陸でも同様だった。

 宗教改革以前、民衆は異教に起源を持つ祭り(クリスマスやイースター)も楽しんでいた。が、プロテスタントはそれを攻撃。イングランドでは17世紀には宗教的演劇も絶えた。プロテスタントの一部には「安息日厳守主義」があって、教会での宴会や社交を禁じ、さらには居酒屋の営業も禁じたのでイングランドには「陰鬱な日曜日」が到来した。

(以下続く)

 

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