『スペインのユダヤ人』
関哲行著『スペインのユダヤ人』(山川出版社、世界史リブレット)を読んだ。
新刊ではないが、非常に興味深かった。漠然とスペインが両カトリック王によって統一された1490年代にユダヤ人追放令が出たのだと思っていたのだが、それは一片の事実としては正しいが全体像としては正しく認識していなかった。
つまり、スペインにおいては中世からヨーロッパの中でユダヤ人の数が多かった。 スペインのユダヤ人はセファルディームと呼ばれ、ドイツを中心としたユダヤ人はアシュケナジームと呼ばれた。セファルディームの中からは出世して宮廷ユダヤ人となるものも出た。
11世紀末のムラービト朝、ムワッヒド朝では反ユダヤ政策が取られる。
各都市におけるユダヤ人はアルハマと呼ばれる自治組織を持っていた。
14−15世紀にキリスト教徒のユダヤ人観が根本的に変わった。それまでユダヤ人は理性的手段でいつの日かキリスト教に改宗する「潜在的キリスト教徒」と見なされていた。ところが14−15世紀になると高利貸しや徴税請負によってキリスト教徒を収奪する非道なユダヤ人のイメージが浸透。
14世紀末から大規模な反ユダヤ運動があり、コンベルソ(改宗者)を産んだ。
コンベルソには心からの改宗者と表向きの改宗者と両者の間で揺れ動く改宗者がおり、キリスト教徒、ユダヤ教徒、コンベルソの間には複雑な相互不信があった。
1492年のスペインからのユダヤ人追放令により、イスタンブルが世界最大のユダヤ人居住区となる。
コンベルソの中に内部的な相互不信、緊張があったが、フェルナンド・デ・ロハスの『ラ・セレスティーナ』やマテオ・アレマンのピカレスク小説にはその内面的緊張が反映されている。ロハスの父は異端審問裁判で火刑にされている。
バロック美術で有名なサンタ・テレサ(聖女)は、その祖父が有罪判決を受けたコンベルソだった。火刑とされたのではなくて微罪で教会と「和解」したのだった。
血の純潔規約というものがあって、3代−4代遡ってユダヤ人やイスラム教徒がいると排除されるという規則が各地で採用されたが、これが黄金世紀のスペイン演劇を代表するローぺ・デ・ベーガの演劇で名誉が中心テーマとなるのに深く関与している。
以上挙げたように、ユダヤ人およびコンベルソをめぐる問題は、スペイン文学と深く関わっている。
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