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2018年8月19日 (日)

《リッチャルドとゾライデ》

ロッシーニのオペラ《リッチャルドとゾライデ》を見た(ペーザロ、アドリアティック・アレーナ)。

このオペラは一般的には決してポピュラーなオペラとは言えないだろうが、ペーザロでは何回が上演している。僕は初めて見て、大変観がいのあるオペラだと思った。

ただし、登場人物が多く、主な人物だけで8人くらいいるし、たとえば有力なテノールが3人も必要なので、上演するのは興行としてはとても難しいのではないかと思う。

例によってあらすじは、日本ロッシーニ協会の水谷彰良氏によるものが詳しい。さらにこの作品に関しては、オペラ御殿に解説だけでなくリブレットのイタリア語と日本語の対訳が掲載されている。この対訳はわざと文学的な色付けのない直訳調になっているので、この単語はこんな意味か、とか、イタリア語の構文がここではこうなっている、と言ったことが実によくわかるようになっている啓蒙的な対訳で、予習や勉強するのにとても便利です。さらには、直訳しても、日本語として意味が通じにくいところでは、かっこに入れて平たく言えばこんな意味と示してくれている。ありがたいです。感謝。

あらすじとしては、リッチャルド(フローレス)とゾライデ(プリティ・イェンデ)が恋人どうし。リッチャルドの友人でキリスト教陣営の大使エルネスト(ハビエル・アンドゥアーガ)。ヌビアの王アゴランテ(セルゲイ・ロマノフスキ)はゾミーラ(ヴィクトリア・ヤロヴァーナ)という妻があるのだが、アジア=中近東の王子イルカーノ(ニコラ・ウリヴィエーリ)の娘ゾライデを見染め、迫る。リッチャルドは身をやつしてゾライデの身近に潜入して、二人で逃げ出そうとする。妻ゾミーラはゾライデとリッチャルドの逃避行を助けるフリをして逮捕させる。イルカーノとリッチャルドは死刑を宣告されるが、そこに十字軍がやってきてヌビアを制圧、救出されたリッチャルドとアゴランテの立場が逆転する。リッチャルドはアゴランテと妻ゾミーラを許し、ゾライデと結ばれてメデタシ、メデタシ。

初めて聞いたらこれでも込み入っていると思うが、実は上記のあらすじではアゴランテの友人ザモッレやゾミーラの友人エルミーラ、ゾライデの友人ファーティマを省略している。

有力なテノールだけでも3人いるという贅沢な構成だ。プログラムでフィリップ・ゴセットのエッセイが掲載されていて、そこにも記されていることだが、ロッシーニは1815−1822年にかけてナポリのサン・カルロ劇場のために次々とオペラ・セリアを書いている。1815年はナポレオンが倒れ、ウィーン会議によって旧体制が復活した時期であることを確認しておこう。つまり、復活したばかりのアンシャン・レジームは政治風刺的なものには過敏に反応し、検閲に引っかかる可能性が高かったであろう。また、ゴセットが指摘しているのは、この時期にロッシーニが書いたオペラ・セリアは原作に相当するものは、16世紀のイタリアの騎士物語詩であったり、フランスの古典悲劇であったり、聖書であったり実にバラエティーに富んでいるのだが、構造的には非常に似ていて、ヒロインがいて相思相愛のヒーローがいる。しかしライバルがいて、ライバルの方をヒロインの父が応援しているという図式。《リッチャルドとゾライデ》ではライバルが王でさらに彼には妻がいるという点がヴァリエーションとなっている。歌手の構成はおそらく当時ナポリの歌劇場で使うことのできる歌手に当て書きしているのだろう。ゾライデの初演はイザベル・コルブランである。

今年は初演から200周年にあたる。フローレスは言葉が明快で横や後ろを向いたときでさえ一語、一語がはっきり聞き取れるし、言葉のニュアンスもレチタティーヴォにおいても、アリアにおいても丁寧に的確に表出していた。さすがというほかはない。高音域にも何の不安もなく安心して聞いていられる。言葉が明快だったのはゾミーラを歌ったヤロヴァナ。声が(口の形が)決まり、声の姿が端正で美しい。ゾライデを歌ったイェンデはむしろ柔らかい声で、ふわっと行くところがあり、そこがチャーミングであると同時に、言葉の発音が時たま聞きとりにくいところがある。しかし、高音は輝かしく、背が高くてスタイルも良く、フローレス との二重唱においても存在感で負けていなかった。

若手でもう一人驚くべきは、エルネストを歌ったハビエル・アンドゥアーガでとてつもない声量なのだ。表情やニュアンスの豊かさではフローレスが王者の風格であったかもしれないが、単純な声量ではこの若者はこの日の誰よりもやすやすと会場に響きわたる声を発していた。いかにも大声を張り上げるという感じではなく、ごく普通の声の表情のまま音量が溢れるように大きい。もう1人のテノール、ロマノフスキも悪くなかった。特に二幕では表情豊かに歌を聞かせていた。イルカーノのウリヴィエーリも品格のあるバスで、実に贅沢な声の布陣だった。

知人の話では以前のペーザロでのこの演目の上演では、ヌビア側の人物の顔を黒く塗ったりしていたらしい。今回は、戦いの場面でキリスト教側の端が赤十字になってはいたが、ことさらにイスラム対キリスト教の対立を強調する場面は見当たらなかった。政治的なメッセージを前景化するというよりも、バレエ団を巧みに用いて、このオペラの豊かな世界にいざなうという感じ。二重唱、三重唱が実に充実しているのも音楽的充実に大いに貢献していたと思う。

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