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2018年8月17日 (金)

《セビリアの理髪師》

ロッシーニのオペラ《セビリアの理髪師》を観た(ペーザロ、アドリアティック・アレーナ)。

演出・舞台監督・衣装はピエル・ルイジ・ピッツィ。彼の演出はいつもそうなのだが、色の処理がエレガントで、今回は白(と黒)を基調にしたシンプルなものなのだが、登場人物の人間関係を混乱させない処理が見事。ピッツィの演出を見ていると、そんなことはわけもないことのように見えてしまうのだが、実はそうではないことが残念な多くの演出家によって嫌という程経験済み。
エレガントで人物の区別、関係性がわかりやすいだけでなく、ピッツィの主張はさりげなく盛り込まれていると見た。脇園彩演じるロジーナはとても積極的に動くし、バルトロを侮蔑したりする。お手伝いのベルタが歌う人は歳を取っても恋は免れないという歌では、ベルタが別の従僕の上半身を裸にして彼をあわてふためかせる。女性が受け身一方ではない(それはよく読めば元々のリブレットの段階でそうであるわけだが)ことを極めて明快に可視化した演出と言えよう。
歌手も充実していてタイトルロールのダヴィデ・ルチャーノは芸達者でかつ引き締まった体躯で張りのある声。今回はオケの周りに花道のようなものが設えられているのだが、フィガロとミロノフのリンドーロの二重唱では花道の右端と左端に二人がいるのだがぴったり息があう。オペラではアリアもいいが、重 唱の醍醐味もそれに劣らず楽しい。今回の重唱(二重唱のみならず三重唱、それ以上のも)は音楽的にとても充実していた。重唱の際に必要に応じて、歌手をオケの前(花道)に出して歌わせるのは巧みな処理である。オケが厚くなると、この広い会場では歌手への負担がとても大きいと思われるからだ。
バルトロのピエトロ・スパニョーリも演技も歌も実に達者。バジリオのペルトゥージもさすがの貫禄で満場の拍手を浴びていた。
脇園彩のロジーナは常に発声が丁寧で荒れることがなく転がるところでは実に滑らかに転がる。演技でロジーナのオキャンな面を見せており見事だった。
指揮のアベルも楽曲の終わりをテンポを上げて引き締めるタイプで、弛緩するところがなく良かった。
また、今回の上演では、通常は省略されるレチタティーヴォのセリフをフルに言っているようで、状況説明のセリフが本当はこれだけあったのだと感心した。
従来は、セビリアはみんな知ってるでしょう、だからいらない説明は省いて音楽中心でどんどん進めましょう、という劇場の慣習があったわけだ。一長一短であるが、フルのレチタテイーヴォもたまにはいいなと思った。
演目としては、新味はないのだけれど、演出や歌手、指揮、オケが良ければ歓びは尽きないというところか。

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