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2018年8月17日 (金)

《捨てられたディドーネ》

メルカダンテの《捨てられたディドーネ》をもう一度見た(インスブルック、州立劇場)。

ここはおそらく歌劇場ではないので、オーケストラピットが平土間に対し、浅くしか沈んでいない。平土間の席によっては指揮者の姿が丸見えである(僕にとっては指揮振りがわかるので好ましいが)。また観客席とピットの間は壁でなく、U字型の金属がいくつかさしてある感じで、演目によってこの空間はオケピではなくなるのだろう。そのせいか楽団員の出入りもピットの奥からではなく、観客席の通路を通ってであり、指揮者も平土間の横のドアから入ってくる。
 前回は桟敷の1階(平土間より高い位置にある)で、今回は平土間の6列目で聞いたのだが、オーケストラの響きはかなり違って聞こえる。全体がフォルテで演奏すると、平土間では楽器が固まって聞こえ、分離しにくい。まあ、これも気になるのは序曲の時だけで、ドラマが始まると舞台に近い方が舞台の動きの細かいところがよく見えるし、歌手も近いので別の良さがある。
 また、言うまでもないことだが、桟敷席ならカップルや家族で取る人も少なくないだろう。前回は4時開始で今回は7時開始ということもあるのか、地元の知人同士が挨拶を交わしている様子がより頻繁に見られたし、女性も少しドレスアップしている人が多かった気がする。といっても男性で一番多いのは、シャツ(ノーネクタイ)で上着、というスタイル。たまに、ネクタイをしている人もいる。タキシード類のかしこまったものは皆無である。
 指揮者も、黒いシャツとズボンだが、明らかに礼服のズボンというようなものではない。夏ということもあるのか、通常もこうなのかは判別できないが、服装のカジュアル化は進んでいると思う。もっとも女性によってはワンピースのドレス的要素が千差万別で、一口にくくるのは問題があるかもしれない。
  前回と今回で演出が異なっているのに驚いた。前回は途中からヤルバ(ムーアの王)が途中から上着を脱いで情欲を象徴するかのようなくねくねした踊りを踊りながら歌っていたのだが、今回はかなり最後までフロック風の上着を着ていた。また、最後の場面、ディドーネの妹は椅子に座るのではなく、よろよろと起き上がってまたすぐに倒れてしまい幕となるのだった。
幕切れの違いは、かなり作品の解釈の違いに関わってくると思うので、こんなにすぐに変えてしまうのかという驚きを禁じえなかった。
 善意に解釈すれば、作品の意味を不断に追求しているのだということになろうし、悪意に解釈すれば、作品とじっくりと向き合った上での解釈ではないからコロコロと変わるのではないか、ということになろう。難しいところだ。
 

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