『ヘンデルが駆け抜けた時代』
三ヶ尻正著『ヘンデルが駆け抜けた時代ー政治・外交・音楽ビジネス』(春秋社)を読んだ。大変興味深い本だ。興味深いでは足りず、衝撃的とも言える本で、人によってはヘンデルに対する見方ががらっと変わるかもしれない。
評者の場合は、ヘンデル協会での三ヶ尻氏のレクチャーを数回聴いたことがあり、また、ヘンデル協会主催のオペラ講演会を観て、彼の主張のあらましというか、方向性をすでに知っていたため、衝撃というのとは異なるが、あらためてインパクトを感じる本であった。
著者の主張はきわめて明快で、
1.ヘンデルのオペラはすべて政治がらみである。その時の政治問題を、寓意的に論じているわけだが、観客はそれを敏感に感じ取ってオペラを享受していた
2.ヘンデルのイタリアでの修行時代は、スペイン継承戦争でオーストリアにつくかフランスにつくかがイタリア半島の諸国の抱えた問題で、ヘンデルはオラトリオであれ、オペラであれ、こちらにつくべきだという主張をストーリーに盛り込んでいる
3.イギリスに渡ってからは、ジョージ1世(周知の如くドイツのハノーファーから来た)が正統な王なのか、それとも先代の王家に血縁的には近い人達こそが正統な王となるべきなのか(ジャコバイト派の主張)が大きな政治問題だったが、ヘンデルは現王家を正統とするオペラも、ジャコバイト的オペラも両方作っており、今で言えば電通のような広告会社的にイベントを企画・製作する作曲家だったのだ。
三ヶ尻氏が言うようにオペラはそもそも王族・貴族が自分の子供の結婚祝賀のために製作を依頼するなど、政治・外交と切り離せないイベントだった。その政治性は、形を変えながらも脈々と続いたというわけだ。
作品を1つ1つ切り離して、いわば唯美主義的に作品を独立した存在として捉えると見えてこない構図があるものだと強く感じる。
個々のオペラの解釈について、どの人物がどの国を表象しているかなどは、別の解釈が可能な場合もあるかもしれない。しかし、そもそもこういう政治的なコンテクストと作品を重ねて見る見方が、当時は当然だったのだという点を徹底しているところに三ヶ尻氏の主張の一貫性がある。
《メサイア》は初演はダブリンでロンドンではなく、歌詞を書いたジェニングズはジャコバイト派なのだが、その連関についても本書では明快に述べられている。
曲の政治的意味の解釈については先に述べたとおり、三ヶ尻氏の解釈と異なる解釈が可能な場合もあるだろうし、どうしてそう解釈するのかについては当時の政治情勢を含めさらに詳細な記述がほしいところもあるが、そうなると183ページというコンパクトなサイズではなく数百ページの大部なものとなるだろう。そういうものを書いて欲しいと強く思った。
ヘンデルのオペラを考える際にパラダイムの転換を迫る本であった。
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