モンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》
モンテヴェルディ作曲のオペラ《ポッペアの戴冠》を観た(ザルツブルク、モーツァルト劇場)。
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モンテヴェルディ作曲のオペラ《ポッペアの戴冠》を観た(ザルツブルク、モーツァルト劇場)。
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予定外のオルガン・コンサートを聴いた(ザルツブルク大聖堂)。
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ヘンツェのオペラ《The Bassarids》の続きである。
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キリル・ペトレンコ指揮ベルリンフィルの演奏会を聴いた(ザルツブルク祝祭大劇場)。
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ヘンツェ作曲のオペラ《The Bassarids》を再度観た(ザルツブルク、フェルゼンライトシューレ劇場)。
2度見ることで、演出クリシュトフ・ワルリスキの意図がよりよく理解できたし、音楽についてもより細部まで確認できたが、それによってより感銘を受けた。2度見ることで理解が進むのは映画でもオペラでもあることだが、それで感銘が深まるとは限らない。
この劇場はそもそも奥行きは狭く、左右が長い舞台なのだが、ワルリスキはこの舞台を柱によって4つの空間に区切っていた。空間と空間の間にドアのようなものがある場合もある。1度めに見たときには、向かって右側の前列かぶりつきのような席だったので、眼前のものはすごい迫力なのだが、左側の空間で同時に何かが進行している場合、そこが認識しにくいのだった。全体を俯瞰しにくい位置にある座席だった。しかし、歌手の俳優・女優としての存在感、ダンサーのダンスに圧倒されるという演劇の体験にとっては絶好の場所であったとも言える。
二回目の座席はこの会場が大きく二段に分かれている上の段でしかも舞台向かって左よりだったので、前回よりは全体が俯瞰でき、左側で進行する事象がより理解できた。頭での理解がより促進される位置で、両方の座席を経験できてラッキーであった。
今回の上演では、オーデン&カールマンのリブレットにないプロローグがあった。オケが演奏をする前に、ディオニソス役の歌手が、モノローグで、私はディオニソスで自分の母はセメレ、父はゼウスなのだが、セメレの姉妹は自分の出自を認めていない、という状況説明をする。最初、これは演出家が創作したのかと思った(何故なら、出版されているオーデンのリブレット集にはプロローグがなかったから)が、現地で買ったプログラムの註によると、これはヘンツェが1968年のアメリカ及びイギリス初演に際して付け加えたものだった。筆者も、エウリピデスの『バッコスの信女』とオーデン&カールマンのリブレットを読み比べ、後者の方が状況説明が足りなくて(モダニズム以降の文学者にありがちなのだが、古典を既知のものとして知っていることを読者に要求し、状況説明的セリフ、叙述をカットしてしまう)不親切な面があると思った。むしろエウリピデスの方が説明的セリフが結構あるのだ。ヘンツェはプロローグを付加することにより、観客に登場人物の基本的人間関係と状況説明をしている。プロローグがあった方がはるかに観客に親切だ。そうでなくても20世紀後半のオペラは一般になじみがうすく音楽も「難解」と受け止めている人も少なくない。入り口はオープンである方が良いと思う。劇が進行するにつれ、音楽も劇も、エウリピデスの創り出したそしてそれを20世紀にヘンツェとオーデン・カールマンが再生したとてつもない世界に入っていくことに違いはないのだ。周知のように、古代ギリシアものとオペラは切っても切り離せないが、エウリピデスのこの作品は極北的なところがあるし、ヘンツェはそれにふさわしい音楽を作り出したと言ってよいのではないか。
このプロローグの後で、オーケストラが鳴り、合唱がペンテウスが王になった、と歌い始める。(なお、分かりやすさを優先して本項ではゼウスやディオニソスと表記しているが、英語台本のためゼウスはズュース、ディオニソスはダイオニサスと英語訛りで発音されている)。
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チャイコフスキーのオペラ《スペードの女王》を観た(ザルツブルク祝祭大劇場)。
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ヘンツェの「トリスタン」という管弦楽曲を聴いた(ザルツブルク大劇場)。 ヴィーンフィルの演奏会で、前半がヘンツェの「トリスタン」、後半はヴァーグナーの《神々の黄昏》の抜粋。指輪4部作の最終篇が《神々の黄昏》なわけだが、その中の管弦楽だけの部分で抜粋しており、歌手は登場しない。 前半、楽団員入場の前に、指揮者のヴェルザーメストがやってきてマイクを持ち、ドイツ語と英語を交互に駆使してヘンツェの曲の解説をした。
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モーツァルトのオペラ《魔笛》を観た(ザルツブルク大劇場)。
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ヘンツェのオペラ《The Bassarids》を観た(ザルツブルク、フェルゼンライトシューレ劇場)。
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バイロイト祝祭劇場の音について考えたことを簡単にまとめておく。
周知のように、バイロイト祝祭劇場は、オーケストラピットの構造が独特で、観客席からは指揮者の姿もオーケストラ員の姿も全く見えない。演劇的に言えば、指揮者の棒さばきに気をとられることなく舞台に集中させる効果があるだろう。音響的に言えば、オーケストラボックスに蓋がかぶさっているような形なので、オーケストラの楽器の発するアタック音がほとんど聴こえず、弦であれ、木管であれ、金管であれ、フォルティッシモで演奏している場合でも演奏会場の空気をつんざくような鋭い音にはならず、ソフトで力強い音になる。
前に書いたが、そういうソフトでかつ力強い音のサポートにのって歌手の声は遮るものなく直接音が響く。高音の輝かしいソノリティもこちらはダイレクトに聴衆の耳に届く。ヴァーグナーのオーケストレーションは大人数であるからこれくらいの工夫があってちょうどよいだろうと思う。さらに、祝祭劇場は木をふんだんに使用しており、それもまろやかな響きの醸成に一役買っているかと思われる。
劇場が木が多い方が良いかと言われれば、それはレパートリーやオケの編成によるだろう。ザルツブルクのフェルゼンライトシューレは岩山をくりぬいたような劇場で岩というか石の一面だが、ここでバロックオーケストラの演奏が素晴らしく美しく響くし、また現代曲も良い。
バイロイトはヴァーグナー自身が自分の曲を上演するため専用に建てたのだからヴァーグナーのオペラに向いているのは当たり前と言えば当たり前かもしれないが、どういう意味で向いているのか、という点を少し考察してみました。
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ヴァーグナーのオペラ《さまよえるオランダ人》を見た(バイロイト)。
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ヴァーグナーのオペラ《トリスタンとイゾルデ》を観た(バイロイト)。
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《Rossinimania Cabaret Rossini》という一風変わったコンサートを観た(ペドロッティ講堂、ペーザロ)。
解説のナレーションの際や演奏の際に、舞台の壁にヴィデオ(内容は例えばロッシーニの書簡だったりする)が投影される。
これからのコンサートの形態の模索の1つなのかと思う。
なお、このコンサートは街の広場にスキリーンを設営してライブで実況中継された。
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ロッシーニのオペラ《アディーナ》を観た(ペーザロ、ロッシーニ劇場)。
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ロッシーニのオペラ《リッチャルドとゾライデ》を見た(ペーザロ、アドリアティック・アレーナ)。
このオペラは一般的には決してポピュラーなオペラとは言えないだろうが、ペーザロでは何回が上演している。僕は初めて見て、大変観がいのあるオペラだと思った。
ただし、登場人物が多く、主な人物だけで8人くらいいるし、たとえば有力なテノールが3人も必要なので、上演するのは興行としてはとても難しいのではないかと思う。
例によってあらすじは、日本ロッシーニ協会の水谷彰良氏によるものが詳しい。さらにこの作品に関しては、オペラ御殿に解説だけでなくリブレットのイタリア語と日本語の対訳が掲載されている。この対訳はわざと文学的な色付けのない直訳調になっているので、この単語はこんな意味か、とか、イタリア語の構文がここではこうなっている、と言ったことが実によくわかるようになっている啓蒙的な対訳で、予習や勉強するのにとても便利です。さらには、直訳しても、日本語として意味が通じにくいところでは、かっこに入れて平たく言えばこんな意味と示してくれている。ありがたいです。感謝。
あらすじとしては、リッチャルド(フローレス)とゾライデ(プリティ・イェンデ)が恋人どうし。リッチャルドの友人でキリスト教陣営の大使エルネスト(ハビエル・アンドゥアーガ)。ヌビアの王アゴランテ(セルゲイ・ロマノフスキ)はゾミーラ(ヴィクトリア・ヤロヴァーナ)という妻があるのだが、アジア=中近東の王子イルカーノ(ニコラ・ウリヴィエーリ)の娘ゾライデを見染め、迫る。リッチャルドは身をやつしてゾライデの身近に潜入して、二人で逃げ出そうとする。妻ゾミーラはゾライデとリッチャルドの逃避行を助けるフリをして逮捕させる。イルカーノとリッチャルドは死刑を宣告されるが、そこに十字軍がやってきてヌビアを制圧、救出されたリッチャルドとアゴランテの立場が逆転する。リッチャルドはアゴランテと妻ゾミーラを許し、ゾライデと結ばれてメデタシ、メデタシ。
初めて聞いたらこれでも込み入っていると思うが、実は上記のあらすじではアゴランテの友人ザモッレやゾミーラの友人エルミーラ、ゾライデの友人ファーティマを省略している。
有力なテノールだけでも3人いるという贅沢な構成だ。プログラムでフィリップ・ゴセットのエッセイが掲載されていて、そこにも記されていることだが、ロッシーニは1815−1822年にかけてナポリのサン・カルロ劇場のために次々とオペラ・セリアを書いている。1815年はナポレオンが倒れ、ウィーン会議によって旧体制が復活した時期であることを確認しておこう。つまり、復活したばかりのアンシャン・レジームは政治風刺的なものには過敏に反応し、検閲に引っかかる可能性が高かったであろう。また、ゴセットが指摘しているのは、この時期にロッシーニが書いたオペラ・セリアは原作に相当するものは、16世紀のイタリアの騎士物語詩であったり、フランスの古典悲劇であったり、聖書であったり実にバラエティーに富んでいるのだが、構造的には非常に似ていて、ヒロインがいて相思相愛のヒーローがいる。しかしライバルがいて、ライバルの方をヒロインの父が応援しているという図式。《リッチャルドとゾライデ》ではライバルが王でさらに彼には妻がいるという点がヴァリエーションとなっている。歌手の構成はおそらく当時ナポリの歌劇場で使うことのできる歌手に当て書きしているのだろう。ゾライデの初演はイザベル・コルブランである。
今年は初演から200周年にあたる。フローレスは言葉が明快で横や後ろを向いたときでさえ一語、一語がはっきり聞き取れるし、言葉のニュアンスもレチタティーヴォにおいても、アリアにおいても丁寧に的確に表出していた。さすがというほかはない。高音域にも何の不安もなく安心して聞いていられる。言葉が明快だったのはゾミーラを歌ったヤロヴァナ。声が(口の形が)決まり、声の姿が端正で美しい。ゾライデを歌ったイェンデはむしろ柔らかい声で、ふわっと行くところがあり、そこがチャーミングであると同時に、言葉の発音が時たま聞きとりにくいところがある。しかし、高音は輝かしく、背が高くてスタイルも良く、フローレス との二重唱においても存在感で負けていなかった。
若手でもう一人驚くべきは、エルネストを歌ったハビエル・アンドゥアーガでとてつもない声量なのだ。表情やニュアンスの豊かさではフローレスが王者の風格であったかもしれないが、単純な声量ではこの若者はこの日の誰よりもやすやすと会場に響きわたる声を発していた。いかにも大声を張り上げるという感じではなく、ごく普通の声の表情のまま音量が溢れるように大きい。もう1人のテノール、ロマノフスキも悪くなかった。特に二幕では表情豊かに歌を聞かせていた。イルカーノのウリヴィエーリも品格のあるバスで、実に贅沢な声の布陣だった。
知人の話では以前のペーザロでのこの演目の上演では、ヌビア側の人物の顔を黒く塗ったりしていたらしい。今回は、戦いの場面でキリスト教側の端が赤十字になってはいたが、ことさらにイスラム対キリスト教の対立を強調する場面は見当たらなかった。政治的なメッセージを前景化するというよりも、バレエ団を巧みに用いて、このオペラの豊かな世界にいざなうという感じ。二重唱、三重唱が実に充実しているのも音楽的充実に大いに貢献していたと思う。
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ヨーロッパにおける8月15日前後の移動について、何回か困難な状況に陥ったのでメモ代わりに書いておく。この時期に旅行する人の参考になれば幸いである。というか、注意すべきことを、のど元過ぎると忘れてしまう自分へのメモでもある。
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ロッシーニのオペラ《セビリアの理髪師》を観た(ペーザロ、アドリアティック・アレーナ)。
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バリトン歌手ニコラ・アライモのリサイタルを聴いた(ペーザロ)。
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ロッシーニのグラン・シェーナについての講演を聞いた(ペーザロ)。
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ロッシーニのオペラ《アディーナ》を観た(ペーザロ、ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル)。一幕もののファルサで上演時間も約80分と短めである。
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メルカダンテの《捨てられたディドーネ》をもう一度見た(インスブルック、州立劇場)。
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インスブルック音楽祭で《ミサ・クリオッラ》を聴いた(イェズイット教会)。
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インスブルック音楽祭のランチ・コンサートを聴いた(インスブルック)。
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このオペラの会場はインスブルックの歴史的旧市街から100メートルほど行ったところにあり便利で、歩いてやってくる人がほとんどのように見えた。小規模な街の良さである。
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メルカダンテ作曲の《捨てられたディドー》を見た(インスブルック、古楽音楽祭)。
冬のオリンピックの開催地とて名のみ知っていたが、今回初めて来るので地理を確かめるとザルツブルクからイタリアへ抜ける道筋にあり、交通の要所だ。モーツァルト父子やゲーテが泊まった宿がある。僕のホテルはモーツァルト父子の泊まった宿で率直に嬉しい。
ここはチロルなのだが、ハプスブルク家の歴代の人物がいろいろな形で街の発展に関わっている。
日本から来て翌日なので時差はきつい。日曜日のせいか、午後4時に開演、7時に終演で助かったがそれでも日本時間にすれば、午後11時から夜中の2時ということになる。カフェイン剤やエスプレッソの助けを借りるのだがそれでも何度か眠気が襲ってくる。
メルカダンテの曲は概ねロッシーニのオペラ・セリアを想起させる曲想があちこちにあり、テンポがゆったりしたところではベッリーニ風に歌ったり、さらにまたドニゼッティを思い起させるところもある。いずれにせよ初めて見る・聞くオペラなのであるが、ベルカント・オペラに慣れ親しんでいれば、すぐに耳に馴染む音・メロディーの世界である。
ちなみにパーセル作曲のオペラは《ディドー(ダイドー)とエネアス》でリブレットを書いたのはネイアム・テイトで大筋は似ているにせよ、リブレットが英語であるし、別の登場人物ベリンダや魔女的存在が出てくる。別作品である。
メルカダンテの《捨てられたディドーネ》は、メタスタジオのリブレットがまずあって、それに何十人もの人が作曲した、その一連のオペラの終わりの方の1作。メタスタジオに最初に曲をつけたのはドメニコ・サッロで1724年(ナポリ)だが、同年ローマではドメニコ・スカルラッティが作曲し、同年ヴェネツィアではアルビノーニが曲をつけている。1726年にはレオナルド・ヴィンチが作曲し、ロンドンではヘンデルが1736年に作曲している。メルカダンテのものは1823年トリノ初演なので99年が経過しているわけだ。さらに、リブレットはメタスタジオのものをそのままではなく、Andrea Leone Tottola が手を入れたものを用いている。 トットラは生まれた年も場所もわからないのだが、ある時からナポリでバルバイアの元で働いており、ロッシーニの《モーゼ》、《湖上の美人》、《エルミオーネ》、《ゼルミーラ》のリブレットを書き、ついでドニゼッティのリブレットも書いている。
トットラとメタスタジオのリブレットの違いは細かく見れば色々あるだろうが、最も目立つのは合唱の有無だ。第一幕の冒頭、メタスタジオではエネアがセレーネ(ディドーネの妹)に、カルタゴを去らねばならぬ理由を説明するところ。トットラ版では、合唱がいきなり登場する。男声合唱団はカルタゴの兵隊であったり、トロイの兵であったり、ムーアの兵であったりと、いろんな役割で、しかもしばしば登場する。今回の演出でも、主要登場人物が歌でレチタティーヴォで会話している際も、兵たちが目立たぬところで作業を続ける様子を見せていた。
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三ヶ尻正著『ヘンデルが駆け抜けた時代ー政治・外交・音楽ビジネス』(春秋社)を読んだ。大変興味深い本だ。興味深いでは足りず、衝撃的とも言える本で、人によってはヘンデルに対する見方ががらっと変わるかもしれない。
評者の場合は、ヘンデル協会での三ヶ尻氏のレクチャーを数回聴いたことがあり、また、ヘンデル協会主催のオペラ講演会を観て、彼の主張のあらましというか、方向性をすでに知っていたため、衝撃というのとは異なるが、あらためてインパクトを感じる本であった。
著者の主張はきわめて明快で、
1.ヘンデルのオペラはすべて政治がらみである。その時の政治問題を、寓意的に論じているわけだが、観客はそれを敏感に感じ取ってオペラを享受していた
2.ヘンデルのイタリアでの修行時代は、スペイン継承戦争でオーストリアにつくかフランスにつくかがイタリア半島の諸国の抱えた問題で、ヘンデルはオラトリオであれ、オペラであれ、こちらにつくべきだという主張をストーリーに盛り込んでいる
3.イギリスに渡ってからは、ジョージ1世(周知の如くドイツのハノーファーから来た)が正統な王なのか、それとも先代の王家に血縁的には近い人達こそが正統な王となるべきなのか(ジャコバイト派の主張)が大きな政治問題だったが、ヘンデルは現王家を正統とするオペラも、ジャコバイト的オペラも両方作っており、今で言えば電通のような広告会社的にイベントを企画・製作する作曲家だったのだ。
三ヶ尻氏が言うようにオペラはそもそも王族・貴族が自分の子供の結婚祝賀のために製作を依頼するなど、政治・外交と切り離せないイベントだった。その政治性は、形を変えながらも脈々と続いたというわけだ。
作品を1つ1つ切り離して、いわば唯美主義的に作品を独立した存在として捉えると見えてこない構図があるものだと強く感じる。
個々のオペラの解釈について、どの人物がどの国を表象しているかなどは、別の解釈が可能な場合もあるかもしれない。しかし、そもそもこういう政治的なコンテクストと作品を重ねて見る見方が、当時は当然だったのだという点を徹底しているところに三ヶ尻氏の主張の一貫性がある。
《メサイア》は初演はダブリンでロンドンではなく、歌詞を書いたジェニングズはジャコバイト派なのだが、その連関についても本書では明快に述べられている。
曲の政治的意味の解釈については先に述べたとおり、三ヶ尻氏の解釈と異なる解釈が可能な場合もあるだろうし、どうしてそう解釈するのかについては当時の政治情勢を含めさらに詳細な記述がほしいところもあるが、そうなると183ページというコンパクトなサイズではなく数百ページの大部なものとなるだろう。そういうものを書いて欲しいと強く思った。
ヘンデルのオペラを考える際にパラダイムの転換を迫る本であった。
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