《アリオダンテ》
ヘンデル作曲のオペラ〈アリオダンテ〉を観た(東京文化会館小ホール)。
会場は満員。登場歌手で中高一貫校で教えている方がいて、その生徒がまとまって観にきているらしかった。多くの生徒にとって、おそらくは生で観る最初のオペラなのではないか。こういう曲を観て、聞いてどういう感想を持ったのか聞いてみたいと思ったし、彼らがこの後で、ヴェルディやプッチーニやモーツァルトのオペラを観たときにどんな感想を持つのか、聞いてみたいと思った。
僕がオペラの断片を聞いたのは、ピアノの先生(夫婦で教えていらした)のお宅であったと思う。レッスンの前にFMのオペラの放送が流れていたり、女の先生はたしか以前、二期会に所属していらしてオペラの一節とおぼしきものを口ずさんでいらした。当時は、こちらにオペラの知識が無かったのでどんな曲だったか皆目、見当がつかないのが残念だ。
その後、全曲で聴き通したのはモーツァルトのオペラが最初だったと思うが、これまた実演ではなく、LPレコードで、当時は全くイタリア語もわからなかったし、レコードについてきたリブレットを見ながら聴くというよりは、本など読みながら、何度もレコードを聴くと言った聞き方で、そのうち自然に好きな曲が出てくるという感じだった。今でも、自分にとって新しいオペラに接近する時の仕方は基本的に同じである。
現代の中学生がこういう接近・遭遇の仕方をすることは極めて考えにくい。DVDやブルーレイ、劇場には字幕がついているからだ。この日の〈アリオダンテ〉の字幕は懇切・丁寧で、最初にあらすじが紹介され、その後も誰の歌詞かが明示されているので、二重唱のときにとても理解しやすいのだった。ちなみに、字幕は1行か2行の細長いものではなく、スクリーンを
舞台の上につるす感じで、だから、たとえばアリオダンテのアリアの歌詞を4行なり6行なり一度に提示できるだった。
ストーリーはアリオストの『狂えるオルランド』の第5歌と第6歌にあるエピソードがもとになっている。騎士アリオダンテとジネーヴラ姫は相思相愛なのだが、ポリネッソという公爵が横恋慕する。ダリンダというジネーヴラの侍女をたぶらかして、彼女にジネーヴラの振りをさせ、自分を部屋に引き入れるところをアリオダンテに見せるという悪だくみをする。アリオダンテはすっかりだまされ、自分がジネーヴラに裏切られたと思い自殺しかかるが、弟のルルカーニオに止められる。やがて悪事が露見しめでたしめでたし、となる。
初演時には、アリオダンテをカストラートのカレスティーニが歌っている。ジネーヴラがソプラノでポリネッソがアルトである。今回の上演では、アリオダンテが中村裕美(敬称略、以下同様、メゾソプラノ)、ジネーヴラが佐竹由美(ソプラノ)、ポリネッソが上杉清仁(カウンターテナー)、スコットランド王(ジネーヴラの父、バス)が加藤直紀、ダリンダが村谷祥子(ソプラノ)、ルルカニオが坂口寿一(テノール)、オドアルドが長谷部千晶(ソプラノ)。バロック・オペラを聴くといつも思うのだが、カウンターテナーがいるせいか、テノールが高い声という感じがしない。実際、役柄的にも、テノールは脇役的な役柄が多い。そこが19世紀以降のオペラとは大きく異なるところである。音楽監督・演出は原雅巳。オケはヘンデル・インスティテュート・ジャパン・オーケストラで今回はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、チェンバロの他にフルート、オーボエ、ファゴット、トランペット/ホルンがあって、楽器編成のヴァリエーションが豊かだった。さらにバロック・ダンスを浜中康子、北條耕男が演じ、ダンス音楽の場面も大いに楽しめた。そもそもヘンデル協会の上演ではバロックジェスチャーで衣装もバロック風の衣装なので様式美にみちた上演であるが、それとバロック・ダンスは親和性が高いのは言うまでもないだろう。
中村の澄んだ声、適度なビブラートは聴いていて実に気持ちが良い。上杉のポリネッソは、歌も演技も見事だった。ポリネッソは前述の通り、陰謀をたくらむ公爵なのだが、その高貴な身分といやらしさを同時に表情で表している様は称賛に値いしようし、歌もまた、やりすぎずに豊かに表情をつけていた。悪役が上手いと主人公アリオダンテやジネーヴラの悲劇もひきたつというものだ。村谷のダリンダも、そのポリネッソにそそのかされ、心ならずも陰謀に加担してしまう侍女の思いを叙情的に表現していた。
ヘンデルのオーケストレーションは実に巧みで、たとえば裏切られたと思ったアリオダンテが死を覚悟する場面では、楽器編成は最小限になる。ヴァーグナー的足し算の美学ではなく、引き算の美学である。王が出てくる場面ではホルンが鳴る。オーボエはどういう場面で鳴り、どういう場面では引っ込むかなどを見ているのは実に興味深い。
全体として、大変にレベルが高く、堂々とした演奏・演技であった。
さらに言えば、ヘンデル協会のものはいつもなのだが、プログラムが充実していて読み応えがある。今回のものは、333HBS記念祭の年ということもあり、また、ヘンデル協会設立20周年ということもあり、それに関する記事がある。台本、バロック・ジェスチャーに関する記事、《アリオダンテ》の見どころ、《アリオダンテ》を政治的にどう読み解くか、さらには、カールスルーエでのヘンデル音楽祭観劇記もあり、おすすめです。
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