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2018年3月 1日 (木)

《セメレ》その3

ヘンデルの英語オペラ《セメレ》を観た(カールスルーエ)。

今回、1階の3列目だったので、指揮者、オケ団員の様子がつぶさにわかる。《アルチーナ》の時との違いに幾つか気がついたので記す。
編成は《アルチーナ》の方が厚い。ヴァイオリン奏者の数も《アルチーナ》の時の方が多かった。また《アルチーナ》の時にはテオルボとリュート両方がいたが、《セメレ》ではテオルボのみだった。楽譜を確認していないが、おそらくは通奏低音に何と何を使用するかまではヘンデルは指定していないのではないか。だとすると、テオルボのみとテオルボとリュート両方を用いるかは指揮者の指示によるものなのだろうか。
さて以下、やや書きにくいことをあえて書く。《セメレ》では、アリアの後にほとんど拍手が起こらなかった。《アルチーナ》では度々あったのに。これはなぜか。念のために言えば、指揮者がアリアの後、間をおかずに次の曲に進むかどうかの差ではない。《セメレ》の第一幕では、特にテンポが遅く、全体の音の重なりが重く、心弾まないものだった。ヴァイオリン奏者にはくっきりと弾かせ、それが遅めのテンポで、曲の進行が止まりそうな時さえあった。その一方でチェロや通奏低音にはキューのような指示は出るが曲想、表情の指示はない。奏者も《アルチーナ》の時とはうって変わって、リズムを淡々と刻む機能に徹している。
テンポが遅めでイーノが歌うというのはどういう解釈なのか、理解に苦しむ。イーノは姉の婚約者アタナスに横恋慕しているので、姉の結婚を喜ばず、姉がジュピターとできてしまったことは密かに、ちゃっかりと喜んでいるはず。その上で、アタナスには、私、悲しいのとぶりっ子するのだが、そこをゆったりとまるでロマン派のように感情移入を求められても観客はしらけてしまうだろう。
この日のイーノ役、アタナス役の歌手の調子は良かったので、アリアの後、拍手が全く来ないのは気の毒であった。もうちょっとリズムが弾んで、ウィットに富む表情作りがあって、アップテンポだったら拍手喝采だったろうに、と思わずにはいられなかった。
第2幕、第3幕はやや改善はされたものの、前述の指揮者の音楽作りに阻まれて?ジュノーやジュピターの演技も含めた熱演にも拍手はまばら。セメレの歌手も声の調子も良く、もうちょっと音楽が弾めば、聴衆の喝采は間違いなしのいい曲をヘンデルは何曲も書いているのに。
さすがに、終演後は、皆さん惜しみない拍手を送っていました。
この日のみテオルボ付近にマイクを設営したらしく、第一幕で数回の大きなハウリングがあったのは残念だった。
繰り返して聞いてみれば、《セメレ》にも魅力的な音楽は沢山ある。演出だけがコミカルな今回の上演であったが、音楽にもその要素は含まれているので、それを反映した演奏を是非聞いてみたいものだ。

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