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2018年2月27日 (火)

室内楽コンサート

ヘンデル及び同時代の作曲家の室内楽コンサートを聴いた(カールスルーエ、州立劇場小ホール)。

オペラを上演するのと同じ建物なのだが、オペラは大ホールで、こちらは小ホール。上野の文化会館のような感じであるが、大ホールは文化会館よりはるかに小ぶりである。小ホールは文化会館と比較すると客席に傾斜があって半2階のような部分がある。
楽器編成がちょっと変わっていて、チェロが2丁、コントラバスが1丁そしてチェンバロである。4人で演奏する曲目が中心だが、フローベルガーのように、チェンバロの独奏曲もあった。
演奏会のタイトルが「エロスとタナトス」(性愛と死)となっているのだが、楽器編成からも推測できると思うが、オペラのような派手な動きや舞台上で誰かが肌をあらわにするということは一切ない。演奏者は4人とも初老の男性で背広を着て、淡々と渋く演奏していく。ただし、ところどころでドイツ語で曲についての説明が入ったのだが、筆者のドイツ語力が及ばず理解できないのがもどかしかった。もっとドイツ語勉強せねば。。。
プログラムは前半4曲、休憩、後半4曲。
前半は、ジョヴァンニ・ベネデッティ・プラッティ(1697−1763)のソナタ、フランシスコ・カポラーレ(1700−1746、イタリアのチェリスト、作曲家)のソナタ、オルランド・ギボンズ(1583−1625)のファンタジア、ベネデット・マルチェッロ(1686−1739)のソナタ。ギボンズを除き、ヘンデルと活動時期が重なっている。対位法を皆使っているが二台のチェロが同じ旋律を受け渡すと、親密な会話を聞いている感じが強い。オケで対位法を用いる場合より一層、対話的な印象を受ける。これはこれで大きな編成のオーケストラ曲やオペラとは異なる魅力があるものだ。
後半は、マルタン・ベルト(1691−1771)のトリオ。短い曲。ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー(1616−1667)の「来るべき私の死への瞑想」は前述の通り、チェンバロ(ハープシコード)の独奏曲。フローベルガーは17世紀の人だが、ロマン派に先立つこと200年、表題音楽を数多くものしていてこれもその1つ。ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681−1767)のソナタ。これは1楽章ごとにオルフェオとエウリディケの神話とのつながりを説明してくれたのだが、当方のドイツ語力不足のため細部は不明。調べてみると、テレマンはオルフェオもののオペラを書いているのだが、それと関係しているのだろうか。最後が、ヘンデルのソナタ。
二人のチェリストはDimitri DichtairとGerhart Darmstadt。1人は常に5弦のチェロで、弓も短く持ちいかにも古楽器という感じ。もう1人は4弦と5弦のチェロを使い分け、弓の持ち方はそれほど短くない。三台(三梃)ともエンドピン(床と本体の間の金属ピン)はない。ビオラ・ダ・ガンバのように膝の間に抱える感じで奏でていた。
渋いといえば渋い曲目なのだが、オペラの時よりは若者の比率が高かった。チケットの値段のせいなのか、若者は演奏者の縁者だったり、お弟子だったりするのかは不明。オペラの観客の平均年齢が高いのは一目瞭然であった。
こういうコンンサートのおかげで初めて知る曲目、初めて知る作曲家もあり、バロック音楽の厚み、ドイツにおける音楽文化の厚みの一端を知る思いがした。

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