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2018年2月25日 (日)

《アルチーナ》

ヘンデルのオペラ《アルチーナ》を観た(カールスルーエ)。

指揮はアンドレアス・シュペリング。実演を聴くのは初めてだったが、実に素晴らしい指揮者であり、ドイツ・ヘンデル・ゾリステンも実力を遺憾なく発揮しており、非常に高い満足を感じた。
シュペリングの指揮は、古楽器のオーケストラの特徴を生かしてアタック音をくっきり聞かせるところもあれば、レガートをたっぷり用いて旋律のラインを綺麗に聞かせるところもあり、テンポも猛然と突き進むところもあれば、ゆったりと歌手に合わせて歌わせるところもある。ヘンデルの書いた音楽自体が、《アルチーナ》ではとりわけ変化に富んでいる。弦だけでなく木管も金管も総動員で突っ走る3幕のルッジェーロのアリアは、聴衆を興奮の渦に巻き込んだ。しかし、だからと言って歌手を軽視する強引な指揮ではない。歌手の声量が小さければ、オケの音量を抑えるし、テンポも基本的に歌手に合わせているように見えた。

演出のジェイムズ・ダラーも悪くなかった。《アルチーナ》は、アリオストの長編物語詩『狂えるオルランド』が原作の、魔女が主人公のオペラだ。魔女アルチーナは妹のモルガーナとある島に暮らし、そこにやってくる人間の男を魅惑し、その果てに次々に獣や岩や波に変えてしまう。ところが、アルチーナはルッジェーロに惚れてしまう。そしてアルチーナの妹の魔女モルガーナはルッジェーロの婚約者ブラダマンテが男装してリッチャルドと名乗った(男)に惚れてしまう。ブラダマンテはルッジェーロを探しにメリッソを連れてやってきたのだ。

 アルチーナを歌ったレイラ・クレアは、声量はあるがロマンティックな歌い方でややバロック的様式から外れる。感情移入が過多でテンポが遅くなってしまう。それに対し、モルガーナを歌ったアレクサンドラ・クバス=クルックは、アジリタ、声量、感情表出のバランスがとても良くとれていて観客の拍手もさらっていた。 ルッジェーロはカウンターテナーのデイヴィッド・ハンセンで輝かしい高音部と控え目な中声部の持ち主だ。ブラダマンテ役のベネデッタ・マッツカートはアルトで発音は綺麗でアジリタも回るのだが、響かないというか声量が小さめなのが惜しいと思うところが何箇所かあった。オロンテ役のテノール、アレクセイ・ネクリュドフも落ち着いた歌唱に好感が持てた。

演出で、魔女の魔法からルッジェーロが目覚めるのを黄金色のガウンを脱ぐことで象徴させたのはわかりやすく巧みであると見た。アルチーナの魔法が破れる場面はツボが壊されるのではなく、映写機のフィルムが破棄されることで表象されていた。

《アルチーナ》ではダ・カーポアリアでもAとBの曲想にかなりコントラストのあるものも多く、音楽的表情の変化に富んでいるが、指揮・オーケストラはその表現を常に適切に、音楽的に演奏し、聞き手に音楽的な喜びを与えてくれた。カーテンコールでも指揮者とオケに対する拍手は惜しみないものだった。


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