「女王たちのための音楽」
「女王たちのための音楽」と題した音楽会に行ってきた(カールスルーエ、Evangelische Stadtkirche)。
会場は教会である。天井は高く暖房は効かない。聴衆の多くがコートやマフラーを身にまとったまま教会の長椅子に座っている。
曲目は4つですべてヘンデル。最初は《ソロモン》からシバの女王の入城で、曲は誰でも聞けばあれかというポピュラーなもの。しかし、この曲で判明したのは、教会で早いパッセージを弾くことの困難さだ。残響が長い(天井が高いから行って帰ってくる時間が長いのだと思う)ので、フレーズがどんどんかぶってしまうのだ。合奏していて、対位法的に同じメロディをヴァイオリンが弾いたり、チェロが弾いたりする場面が、聞き取る方も困難を極めたので、弾く方も相当に大変で、オーボエ奏者なども吹きにくそうだった。そのため、指揮のクリスチャン=マルクス・ライザーは拍をくっきりと表示していた。
次は「アン女王のための誕生日のオード」これは3人の独唱者と合唱とオーケストラ(この日のオケはカールスルーエ・バロックオーケストラで、オペラの時のオケとは別であるが、こちらも大変優秀なオケである)。
曲自体は、女王様への歯の浮くような賛辞が続くわけで、書き出しはEternal Source of light divine (神々しい光の永遠の源)とアン女王を讃えているのだと思う。あるいはそういうありがたい存在のアンがお生まれになったことを神に感謝しているのだと思う。これはテンポがゆっくり目なのだが、オペラと異なり、一音節に対して非常に長く数多くの音符が当てられている。
オペラでもアジリタの場面ではそういう事象は生じるが、ここではゆったりと歌いつつ一つの音節が多数の音符で引き延ばされるので独特の感じが生まれる。
これをソプラノ、カウンターテナー、バリトンの独唱者と合唱が交互に、時に2人の独唱者は重なりつつ歌っていくのだが、出色の出来だったのは、Cameron Shahbazi という若手のカウンターテナーだ。澄んだノンヴィヴラートの声であるのはカウンタテナーに珍しいことではないが、フレージングが的確で、かつ声に芯があり響き渡る。ソプラノの Margo Arsanと比較しても全く音量でも引けを取らないし、表現力は完成度において勝っていたと思う。
曲の性格上、アジリタの場面がないので、その点は全く未知数であるが、個人的にはバロックオペラを歌うのを是非聞いてみたい逸材である。ルックスも個性的で、イラン系カナダ人とのことで、今回がヨーロッパデビューとのこと。
3曲目はコンチェルト・グロッソ op.3 no5 で器楽曲。
4曲目が「キャロライン王妃の葬送頌歌」この曲の冒頭を聞いて驚いたのは、モーツァルトのレクイエムとの類似だ。メロディーが似ているというのではなく、短いパッセージを重ねて呟くように音楽が進むという構造が似ている。モーツァルトはヘンデルのメサイアを編曲しているほどなので、この曲も知っていたのかもしれない。何度も述べているように、教会の残響の長さを考慮に入れると、短いフレーズで、切れ切れになって、それを連ねていくのは大変効果的である。間が空くことで、残響が一旦整理されるし、異なったパートが呼吸を合わせやすくなる。
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