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2017年11月25日 (土)

ポッペアの戴冠

モンテヴェルディのオペラ《ポッペアの戴冠》を観た(初台、オペラシティ)。

3年前にも同じ会場で、《ポッペアの戴冠》をヴェネクシアーナの演奏で観ている。今回は、管弦楽団がバッハ・コレギウム・ジャパン。管弦楽は十数人なので決して多くはないのだが、ヴェネクシアーナの時は1桁の人数だったのでもっと小編成だったことになる。
指揮の鈴木優人(敬称略、以下同様)は、第一幕はとても慎重に進めているように見えた。そのため、叙情的なところとリズムの弾むところのコントラストが弱めだったが、第二幕、第三幕と進むにつれ緊張してがほぐれ、楽しげに弾むところも生き生きとしてきた。オペラシティのホールはオペラをやるところとしては小ぶりで響きも良く、バロック・オペラには向いている。この日使用した楽譜はアラン・カーティス版であるとプログラムに断りがあった。これは現代に伝わっている楽譜が2つあり、ヴェネツィア版とナポリ版があるのだが、どちらも旋律と通奏低音だけで、楽器指定がないのだ。しかもヴェネツィア版もナポリ版も、印刷されたリブレットと完全には一致しないのである。
演奏会形式となっていたが、実際にはセミステージ形式で、ステージの上にオケがいて、その前後に大小の立方体が置いてあり、その上を歌手が登ったりおりたりして演技をする。セネカなどは、観客席に降りて舞台に向かって歌い、会場の後方から退場するという場面もあったほどだ。演奏会形式には、タキシードを着た状態で直立したまま、楽譜を見ながら歌うような形式もある(ザルツブルク音楽祭で何度か経験した)が、これはオペラとしてはまことにつまらない。つまり音楽劇から劇を完全に抹殺しているわけである。今回のはそうではなくて、単に舞台装置が簡素なだけで、オペラとして十二分に楽しめた。
欲を言えば、この作品のユーモラスなニュアンスがもっと出ていてもよかったかと思わないでもない。ただし、乳母役の藤木大地は、この役のコミカルな味わいを歌でも演技でも表現していた。
 この作品のリブレットを書いたブゼネッロは、《ウリッセの帰還》のリブレッティスタ、バドアーロと同様、アカデミア・デッリ・インコニティ(この当時はイタリア各地にアカデミアがあった)。インコニティの特徴は、ヴァティカンの権威に屈せず、カトリックの教義や道徳に懐疑的で、それを表に出してくるところだ。《ポッペア》も周知のごとく、少しも勧善懲悪にはならず、ポッペアがオッタヴィアを追い出して皇帝の妻の座を得て愛の二重唱を歌って終わる。しかもこの二重唱が音楽的に大傑作である。ブゼネッリもモンテヴェルディも当然ながら、史実では、この二人が結ばれた後、それぞれ非業の死を遂げたことは知っていたはず。しかしあえて、ハッピーエンドで締めくくっている。この愛の二重唱の陶酔を思うと、このオペラの枠組みである愛(の神)と美德(の神)と運命(の神)が競いあう場面があり、愛の神が勝つという結果に終わるわけで、なかなか挑発的な話である。この時期のヴェネツィアの検閲が厳格でなかったことを感謝せずにはいられない。
 この日の演奏は、熱演であった。このレベルを保って、どんどん色々なバロックオペラが上演されることを切望します。
 

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