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2017年9月 9日 (土)

《魔笛》

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magic-fluteモーツァルトのオペラ《魔笛》を観た(プラハ、スタヴォフスケ劇場)。

これは演奏自体も演出もチャレンジングで大いに刺激を受けたし、そこから曲の出来の素晴らしさにあらためて深く感銘を受けた。
シカネーダのリブレットに対して安易に悪口を言う人が多いように思うが、魔笛、魔法の笛というところから自明なように、この話はそもそもがリアリズムとは縁がない。タミーノはいきなり大蛇に襲われるわけだし、それを夜の女王の3人の侍女が救うわけだ。
 つまり表面的なストーリーと並行してどういう寓意、象徴を読み解けるかが問われているようなドラマである。
今回の上演では幾つかの大胆な試みがある。
1つは、序曲で幕が上がる前からモーツァルト(あるいはシカネーダ?)らしき人物がいる。彼はいわゆるモック役で歌いはしないのだが、ただし通常のモック役と異なるのは、魔笛は周知の通りジングシュピールでセリフのところがレチタティーヴォのように伴奏がつかず、全く純粋にセリフである。そこを歌手(例えばタミーノ)がドイツ語で話すとモーツァルトらしき人物がチェコ語(だと思う)で話すのである。なぜチェコ語と判断したかというと、アリアの部分では字幕がチェコ語と英語が表示されているのだが、セリフの部分では英語のみになってしまうからだ。
ジングシュピールでのセリフの処理はいろいろあって、そのまま全部ドイツ語でやり、字幕で現地の言語を示す場合、セリフのところだけ現地語(日本なら日本語)にして字幕を読む手間を省くやり方があるが、この日のはモーツァルトらしき人物がチェコ語(現地語)で語ると云う新しいパターン、工夫であった。これは欠点としてはセリフが二回になるのでちょっともたもたする。
舞台装置はボッシュがモダンになったようなシュールな書き割りが降りてきたり、上っていったりする。タミーノが18世紀の貴族(プリンス)風と云う以外はほぼ劇画調のファンタスティックな衣装。もう1つの工夫として、3人の童子が出てくる場面があるが、この日の上演では3人の少女となっていた。最初に出てくる夜の女王の部下3人とは明らかに外見も声質も違う少女性を持った3人であった。それが確保されていれば、少女ということに抵抗は感じなかった。声質が異なることは重要で、彼ら(彼女ら)は、パミーナが絶望して自殺しようとするときにもそれはいけないと声をかける。3人の少女が最初に登場したときに、一人は天使のような羽をつけていたが、これは1つの興味深い解釈であろう。3人の童子は、単なる子どもではない可能性があり、なんというか通常の意識で語る人と人とのコミュニケーションではなくて、意識を超えたところから聞こえてくる声なのかもしれない。
声質と役柄、およびそのキャラクターの関係は重要で、夜の女王の超絶的高音も、音楽的には超絶技巧ということになるが、もう1つ重要な意味として、彼女の言葉は、日常の意識のレベルの言語でないということを意味している可能性があるだろう。彼女が母として娘の幸せを願いながら、一方で娘を徹底的に支配し、他者の介入を許すまいとする強烈な欲望、これはどこからくる声なのか。魔笛は、おとぎ話的な話だが、おとぎ話や昔話によくあるように、アレゴリカル(寓意的)な読みを可能とするストーリーでもある。
そういう意味で、ザラストロが最も低い音を出すということにも、深層意識の声という意味合いがある。フロイトやユングが出てくる前から、民話やおとぎ話は寓意的であったのであり、表面的なストーリーと内面の葛藤を同時に表現するストーリーは珍しいものではなかった。
しかし、19世紀後半からリアリズムや自然主義にあまりに毒されてしまうと、表面的なつじつまが合わないことに目くじらをたてる人も増えてきて、魔笛のリブレットは不当に低く評価されてきたと思う。
しかし、良い演出に当たると、実によくできたリブレットだということがわかるのではないか。 この日の演出は、Vladimir Moravek. 賛否両論はっきり分かれる人という紹介がプログラムにある。
指揮者Jaroslav Kyzlinkは、前半ものすごくテンポが早かった。単にテンポが早いだけでなく、フレーズの終わりで一息つかせない。休符が何割か短くなる感じなのだ。夜の女王の部下の3人は最初のうちはこの疾風のようなテンポについて行きかねるところがあったが、そういうときに、指揮者が全くテンポを緩めないので、諦めてというか適応して(さすがプロ)徐々にこのテンポに合わせてテキパキ歌っていた。グロッケンシュピールのところでもこんなに早い演奏は聴いたことがない。しかしそのおかげで、7時開始、一回休憩で9時半には終わってしまうのだった。現代のほとんどの映画が2時間あるいは2時間弱であることを考えると、この時間配分は優れているとも言える。純粋に音楽的に考えても、細かいニュアンスにとらわれすぎずに、前へ前へと推進力のある音楽が流れ続けるのも良いモーツァルトである。その分、集中力が後半まで持続する。無論、それだけが今日的モーツァルトというつもりはないが。
この日の演奏は、《ドン・ジョヴァンニ》、《フィガロ》の時と異なり客席とオケピットとの境目にある壁が取り払われていた。指揮者は、客が出入りするところから登場した。数えてみるとオケの人数も35人くらいいて前の2演目より人数が明らかに多くなっていた。
歌手は、タミーノが貫禄で声も立派だった。パミーナは金城由紀子さん。パミーナらしい清涼感のある歌を聴かせてくれた。夜の女王は、二つのアリアでいづれも超高音をしっかり決め、また衣装も派手やかで若々しくよかった。リブレットに関して述べたこととも関係してくるが、私の考えでは、夜の女王はパミーナの母ではあるのだが、リアリスティックにそういう年齢を感じさせる必要はないと思う。むしろ、何歳かわからない、若々しく見える方が良いと思う。
ザラストロは逆である。歌手として何歳でも良いが、賢者にふさわしい貫禄、年齢を感じさせる風であることが望ましいだろう。
リアリスティックな年齢ではなくアレゴリカルな年齢を感じさせてほしいのだ。
そういう意味で声質は重要だ。
歌手の配役は、以下の通り。
タミーノ Jaroslav Brezina
パミーナ 金城由紀子
夜の女王 Jana Sibera
ザラストロ Jiri Sulzenko
パパゲーノ Jiri Bruckler なかなか溌剌としていてよかった。
パパゲーナ Lenka Pavlovic

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