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2017年9月 3日 (日)

《ローエングリン》

ヴァーグナーのオペラ《ローエングリン》を観た(プラハ、国民劇場)。

これもやはり劇場が目当てで来た。日本で調べた時には、9月の頭にはまだシーズンが開幕していないという情報があったのだが、現地に来てみるとスタヴォフスケも国民劇場もどちらも開幕に出くわすことができて幸運であった。
国民劇場は川のほとりにある。チェコ人がチェコ語のオペラをやるために建てたのだが、今となってはドイツ語のヴァーグナーを上演しても良いのだろう。英語では National Theatre でプラハにはもう一つ英語で言うとState Opera 国立オペラ劇場があるから、ちょっと紛らわしい。こちらは元々はドイツ劇場と呼ばれていたとのこと。
国民劇場は外観も立派で、内装も金色に輝き壮麗である。人数も多く入り19世紀のオペラ(ヴァーグナーを含め)の上演に向いているだろう。個人的にはスタヴォフスケこそ世界的なレベルで見て珠玉の劇場だと思うが、プラハの人々のチェコ人としての誇りは国民劇場にあるのかもしれない。
《ローエングリン》はヴァーグナーの中ではまだ聴きやすいとされているが、中途半端とも言える。アリアのように詩の形で簡潔に話しをまとめてくれないから、散文的な話がだらだらと続き、長いと感じるが、ヴァーグナーが好きな人はそこがいいのかもしれない。
指揮はズビニェク・ミュラー。誠実な指揮ぶりで、よく言えばスレてない、オーソドックスで、悪く言えば、刺激がなく、どういうヴァーグナーをやりたいのか主張が感じられない。ロマン派の音楽の演奏は、現在とても難しいところに来ていると思うが、そういう危機感がなく、素直に演奏しているといった体であった。演出も読み替えなどはなく、オーソドックス。歌手もレベルが揃っていた。
スタヴォフスケ劇場と国民劇場を連日で聞いてみると、つくづくヴァーグナー歌手は大変だと思う。あんなにオーケストラが咆哮する中(18世紀には考えられないような音量) で大声を張り上げなければならないのだから。当然、細かな表情やリズム、場合によっては音程も繊細な注意を払うことが難しいこともままありそうだ。小ぶりの劇場で歌う場合と同じ基準で評価しては気の毒というものだろう。しかしその一方で、小ぶりの劇場での細かな表現を味わい知ってしまえば、どこかでそれと比べてしまう自分もいる。
自動車でも、小型のスポーツカーで小回りが利き、加速よしブレーキよしといった車と、大型バス、大型トラックのど迫力はカテゴリーが異なるわけで、ヴァーグナーは後者なわけですね。絵画でも、トスカナのフラ・アンジェリコやレオナルドは線の描きかた(あるいは描線を見せなくするところまで)が繊細だが、ヴェネツィア絵画になると、繊細さよりも、巨大な絵画で量感で見るものを圧倒する。
グールドがバッハの演奏を革新したように、ヴァーグナー演奏を革新する人は現れるだろうか。

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