『バッハ・古楽・チェローアンナー・ビルスマは語る』その4
まだまだ続くがこれで最後です。
ビルスマはボウイングの重要性を説いた上で(そのこと自体は弦楽器を演奏する人にとっては当然のことかもしれないが)、バッハのチェロ無伴奏曲集について綿密な考察を加える。
考察は決して観念的ではなく、演奏に即している。
まずはボウイングの原則11か条が提示される。
さらに、ここがこの本の白眉かもしれないが、この曲集のアンナ・マグダレーナ(バッハの二番目の妻)による自筆稿の読み解き方が示される。従来、アンナの自筆稿には写し間違いが多いとされていたが、ビルスマは異なった観点から高く評価している。
バッハは同じフレーズを何度も繰り返すことがしばしばあるのだが、そこでアンナの楽譜ではスラーがかかっている箇所が異なるのだ。それはわざわざそうしているというのがビルスマの解釈である。
それには、歴史的前提があって、イタリアとフランスではボウイングの流儀が異なっていた。イタリアではかなり自由で創意工夫にとむボウイングを各名人が繰り広げていたが、フランスではオーケストラの演奏が揃うことを主眼にがっちりとしたボウイングの規則を作っていた。
バッハはイタリア式のボウイングに通じていたというのだ。それを元に、ビルスマは、バッハは同じフレーズを繰り返す時に、異なるボウイングで弾くよう求めていたはずだと考える。その考えがアンナの自筆稿に反映されているというのだ。ボウイングやスラーに関しては評者は全くの素人であり、その当否を云々する資格はないのだが、それを断った上であえて言えば、自分たちに理解できない楽譜の書き方をアンナのミスのせいだとして来たこれまでの学説には再考の余地があると思えてくるのだった。ビルスマのバッハそしてアンナ・マグダレーナへの素朴な愛情が、読者にも伝染するのかもしれない。
バッハの無伴奏はただCDを聞いていても充実しているが、ビルスマの解説を読みながら、あるいは読んでから聞くとさらに色々な可能性に気がつき、違った聞こえ方をするようになるかもしれない。
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